三菱重工爆破事件とは

「三菱重工爆破事件」は日本の高度成長末期に発生した当時戦後最大の爆破テロ事件で、日本全体に大変大きなショックをあたえました。 まずは「三菱重工爆破事件」とはどのような事件だったのか、事件の経緯や被害などの概要をおさらいしましょう。 三菱重工爆破事件は連続企業爆破事件の1つです。 連続企業爆破事件について詳しく知りたい方は下記のリンクの記事を参考にしてください。

戦後最大の爆発テロ

「三菱重工爆破事件」は1974年8月東京丸の内ビル街のど真ん中にある三菱重工本社ビルで起こりました。実行したのは「狼」と名乗る「東アジア反日武装戦線」のメンバー4人です。 一階出入り口のフラワーポットに仕掛けられた爆弾の爆発によって、三菱重工と何の関係もない通行人を含む死者8名、負傷者376人という被害者を出した戦後日本の最悪な爆破テロ事件です。 このような大規模な被害になったのは、ビル街という特殊事情に加えて社内の連絡体制の不備があったと指摘されています。

三菱重工のビルに時限爆弾を設置し破壊した

犯行グループは三菱重工本社ビルと通りの向かい側にある三菱電機ビルの両方を一度に破壊しようとして、三菱重工本社ビル一階入り口付近に時限爆薬を仕掛けました。 犯行グループは爆破8分前に予告電話をかけましたが、いたずら電話と受け取られました。その後複数回の予告電話がありましたが避難措置はとられず甚大な被害になりました。 爆破に使われた爆薬は列車爆破用の非常に強力な爆薬が転用されたもので、爆心には直径30センチメートル、深さ10センチメートルの穴があいていました。

三菱重工爆破事件の犯人と犯行の動機

犯人達はなぜこのような事件を起こしたのでしょうか。なぜ爆破の対象が三菱重工だったのでしょうか。そこには偏ったイデオロギー的な背景がありました。 ここでは犯行グループである「東アジア反日武装戦線」の思想的背景や事件を起こした動機などとともに、その犯行声明文の内容も見ていきましょう。