夕張保険金殺人事件とは?犯人である日高夫婦に関する情報や事件の概要を解説!

経済

2019年6月9日

北海道夕張で「夕張保険金事件」という悲惨な事件がありました。何の罪もないいたいけな子供の命までも奪った残虐非道な事件でした。今回ビジキャリでは、この「夕張保険金事件」を取り上げます。事件の経緯や裁判の行方なども詳しく解説しますので参考にしてください。

夕張保険金殺人事件とは

「夕張保険金事件」は保険金を目的とした放火殺人事件です。映画の舞台にもなった夕張炭鉱が舞台です。幼い子供の命までも奪った残虐非道な事件でした。 犯人夫妻の理不尽な振る舞いやお金の使い道が話題になりましたが、昭和天皇崩御という時節を反映して裁判そのものも紆余曲折(うよきょくせつ)した希有(けう)な事件です。

暴力団組員の夫婦による保険金目当ての殺人事件

「夕張保険金殺人事件」は犯人夫妻が経営する会社の従業員が住まう宿舎の火災保険と、従業員の死亡保険を目当てにした放火殺人事件です。 犯人夫妻は暴力団日高組の組長夫妻でもありました。 事件の実行犯は犯人夫妻にそそのかされた会社の作業員でしたが、この作業員の自白によって夫妻の犯行内容が明らかになりました。裁判は紆余曲折をたどりましたが、結果的に夫婦二人に死刑が執行されるという戦後初めてのケースになりました。

夕張保険金殺人事件の犯人夫婦

残虐非道な「夕張保険金殺人事件」ですが、この事件の首謀者は夕張炭鉱で炭鉱作業者を斡旋する(いわゆる手配師業)日高興業という会社経営のかたわら、暴力団日高組の初代組長でもあった日高安政(ひだかやすまさ)とその妻信子(のぶこ)です。 二人はどのような人間だったのでしょうか。まずは二人の人物像に迫ってみましょう。

日高安政

日高安政は6歳の時に夕張市に移住しますが、父を失い母子家庭で育ちました。 兄たちの影響もあって非行に走り、小学校6年生から15歳までを教護院で過ごします。17歳の頃から暴力団員となりますが、1969年には最初の結婚して子供ももうけます。 日高は夕張炭鉱で操業していた三菱大夕張炭鉱(みつびしおおゆうばりたんこう)の下請け会社を1970年頃興し、炭鉱作業員の手配を行う一方で暴力団誠友会の初代組長として金融業や水商売も手がけます。やがて日高は刑務所で服役することが多くなり、会社は実質的に再婚した妻の信子が仕切るようになります。

日高信子

もう一人の「夕張保険金殺人事件」の首謀者である日高信子は1946年に夕張炭鉱の炭鉱夫の家庭に生まれました。 高校時代から非行に走り「女番長」として知られていました。 高校卒業後は東京の専門学校に入学しましたが、1年後に夕張に戻り暴力団の組員と結婚します。その後夫は死亡し信子はバーのホステスとして 働くようになりました。 そのバーに客として来ていた日高安正と知り合い、最初の妻と離婚した安政とやがて再婚します。

夕張保険金殺人事件の概要

それではここで事件がどのような経緯で起こりなぜ発覚したのか、時系列に事件の全体像を見てみましょう。 そこには身勝手としかいいようのない犯人夫妻の振る舞いがありました。人間の欲とはかくも恐ろしいものだと実感させられます。

炭鉱労働者の人材会社を営んでいた

前述のように日高夫妻は1970年頃から三菱大夕張炭鉱の下請けとして炭鉱作業員の手配を行う「日高班」を営んでいました。1975年には会社組織化し、名称を有限会社日高興業、有限会社日高商事としました。 同時に日高安政は暴力団誠友会を興し初代組長を名乗り、金融業や水商売にも手を染めます。やがて暴力事件や銃刀法違反などで逮捕・服役するようになり、実質的に会社の経営は妻の信子が取り仕切るようになりました。 会社は1977年に一旦倒産しましたが、妻の信子は会社を再興し一人で会社の経営していました。

北炭夕張新炭鉱ガス突出事故がきっかけで保険金の旨味を知る

そのような中で、1981年10月に北炭夕張新炭鉱ガス突出事故が発生しました。この時、信子が経営する会社から炭鉱の現場に派遣していた作業員7人が事故で死亡しました。 このような危険な現場の作業員には保険が掛けられるのが一般的で、当然死亡した作業員には多額の死亡保険金が掛けられており、保険金は会社に振り込まれました。 作業員の遺族にも保険金は支払われましたが、日高夫婦の手元に1億円以上の現金が残りました。意図せぬ大金を手にした日高夫婦は自宅兼事務所の新築をはじめ考えられるあらゆる浪費を行った結果、2年足らずで保険金を使い果たしてしまいました。

炭鉱閉鎖等で事業の業績は悪化し借金を負う

折しも我が国ではエネルギー革命が進行中で、石炭から石油へのエネルギー転換が進んでいました。 このような情勢の中で石炭産業は急速に斜陽化し、夕張においても炭鉱の閉山が相次ぎました。これに追い打ちをかけたのが北炭夕張新炭鉱ガス突出事故だったのです。 夕張の炭鉱業が炭鉱事故をきっかけに急速に衰退したことにより、夫妻が経営する炭鉱作業員手廃業をはじめ、幾つかの事業が暗礁に乗り上げ、多額の借金を負った夫婦の生活は急速に困窮していきました。

苦しい生活から逃れ、新規事業立ち上げのため保険金目当ての殺人を企てる

苦しい生活から逃れるためには、夫婦は新たな展開を模索せざるをえませんでした。 夫妻は真面目にコツコツと働こうとはせず、札幌で新たにデートクラブを開業しようと考えました。長年親しんだ水商売の味が忘れらなかったのです。 そのためには開業の資金が必要です。夫妻はその開業資金を得る目的で手っ取り早い保険金詐欺の計画を立案したのです。正に先の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故によって得た保険金のあぶく銭に味を占めた発想でした。

社員の宿舎を放火させる

日高夫妻は会社の作業員の一人に500万円の報酬を約束して放火を実行させました。 火は夫妻が経営する日高興業の作業員宿舎から出火し、宿舎内にいた従業員4人と子供2人の6人が焼死しました。消火活動をしていた消防士1人も殉職してしまいました。 夕張警察署と夕張市消防局によって現場検証が行われましたが、宴会に使った焼き肉のプレートかストーブが火災の原因とされました。結果、またもや夫妻は1億4,00万円近い多額の保険金を手にしたのです。何と夫妻がこれらの保険金を使い果たすのに要したのはたった1か月程度でした。

実行犯の社員の自供により事件発覚

実行犯である会社作業員は日高夫妻の指示によって放火を実行しましたが、保険金がかかっていない子供2人は助けようとしました。ところが火の回りが意外に早く救出することができず、自分も逃げ遅れて重傷を負う結果となってしまいました。 両足骨折を負った実行犯は市内の病院に入院していましたが、身の危険を感じて事件から2ヵ月余が経過した時点で突然病院から失踪しました。 実行犯はその後青森市から夕張警察署に電話をかけ、事件の真相を告白しました。即刻日高夫妻が逮捕されたのはいうまでもありません。

夕張保険金殺人事件の被害

「夕張保険金事件」の被害者は犯人達のターゲットである保険金が掛けられていた従業員に止まりませんでした。何の罪もない子供や消火活動にあたった消防士の命までも奪ったのです。 ここでは、この事件の被害者を詳しく見ていきます。

社員4人が死亡

5月5日夜11時前実行犯の作業員は同僚が寝静まったのを確認して、1階の食堂で新聞紙にライターで火をつけました。 火はたちまち燃え広がり、就寝中の従業員4人が焼死しました。従業員4人には生命保険が掛けられていました。 首謀者の日高夫妻は放火の目的は火災保険金で、作業員たちの命を奪うつもりはなかったと主張しましたが認められませんでした。始めから生命保険目当ての放火だったのです。

社員の子供2人が死亡

この事件では何の関係もない宿舎の住込み炊事婦の子供2人も道連れになってしまいました。 実行犯はせめて保険金とは関係のない子供を助けようとしましたが、火の回りが早く助けることはできなかったのです。 皮肉なことに実行犯もそのために逃げ遅れて飛び降りた際、両足骨折という重傷を負ってしまいました。

夕張保険金殺人事件の裁判と判決

自首による情状が酌量され無期懲役刑となった実行犯に対して、実行犯の自供により逮捕された日高夫妻の裁判は希有な展開を見せることになります。 それでは首謀者であった日高夫妻の裁判の推移を見ていきましょう。

夫婦に死刑判決

日高夫妻は札幌地裁で開かれた裁判において、実行犯には「作業員達が逃げられるように放火しろ」と指示し、放火の目的は火災保険金だけだったと主張しました。実際に作業員達に被害が出たのは実行犯がこの指示に従わなかったためだとも主張しました。 1987年3月札幌地裁は「作業員たちに酒を飲ませた後、寝静まったのを確認して放火させたのは、殺意が認められる」とした検察側の主張に沿って日高夫妻に死刑判決を言い渡しました。 日高夫婦は判決を不服として直ちに札幌高裁に控訴しましたが、1988年10月に突然控訴を取り下げ死刑が確定しました。妻の信子は戦後の日本における4人目の女性死刑囚となりました。

夫婦は恩赦を狙い、控訴しなかった

日高夫妻が札幌高裁への控訴を取り下げたのは、何とも姑息なことに恩赦を狙ったものでした。 当時昭和天皇の様態が思わしくなく、天皇が崩御すれば恩赦が受けられると踏んだのです。恩赦を受けるためには刑が確定している必要があるため、控訴を取り下げ自らの刑を確定させました。 過去明治天皇や大正天皇が崩御した際に、殺人犯であっても恩赦を受けた例があることに期待を寄せたのです。

実際は恩赦はなく夫婦はそのまま死刑執行された

残念ながら日高夫妻のもくろみは外れました。昭和天皇が崩御した際、死刑確定者に対する恩赦は全く行われませんでした。 日高夫妻の罪は保険金詐取を目的とした放火殺人でした。そもそも減刑法によれば放火殺人は恩赦の対象外であるため、仮に当時恩赦があったとしても夫妻が恩赦の対象になることはなかったのです。 その後皇室慶事による恩赦が行われましたが日高夫妻がその対象になることはなく、1997年8月札幌刑務所において夫婦とも死刑が執行されました。

日高興業事務所は現在は廃墟になったまま残っている

かつて日高夫妻が経営していた日高興業事務所の建物は現在も廃墟となって残っています。 日高興業は経営者が不在となって業務を停止し、そのまま倒産・廃業となりました。 過去に夕張で起こった残虐非道な「夕張保険金殺人事件」を記憶に止めようとするかのように、日高夫妻が処刑されてから20年余りが経過した現在も、半壊ながら建物が残っているのです。

まとめ

金銭目的のために、いたいけな子供の命までも奪った「夕張保険金殺人事件」を解説しました。 人間の欲の怖さを今更ながら思い起こす悲惨な事件でした。日高夫妻の厚かましい振る舞いにも怒りを禁じませんが、このような残虐非道な事件が今後起こらないように祈るばかりです。


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