400人程度が死亡し、700人が負傷した

テロ事件が起きたことを知った北オセチア共和国政府は、武装テロ組織の投降を呼びかけます。ですが呼びかけは功を奏さず、武装テロ組織が降伏する様子は見られませんでした。 武装テロ組織の目的は北オセチア共和国とベスラン共和国の真の独立要求でしたが、同時に多くの犠牲者を出すことでテロ組織の恐ろしさを政府に見せつけることでもありました。 この事件では、人質にされていた子どもや親族、テロリストらを合わせると約400人が死亡し、700人が負傷したといわれています。

爆発を合図にロシア軍が現場に突入した

事件が発生してから3日目、武装テロ組織が周りを取り囲む警察隊に発砲し警官1人が負傷しました。武装テロ組織も苛立っており、人質の健康状態も考えるとそう時間はないという緊張が高まっていきました。 3日の午後、ロシア軍と武装テロ組織が睨み合ってる最中に建物内で爆弾が爆発しました。それを合図にロシア軍が現場の建物内に突入しました。 人質の多くは爆発で床に叩きつけられました。辺りは煙に包まれ視界が悪く何が始まっているのか分かりませんでしたが、銃撃が始まると床に伏せ建物の出口へと向かいました。

ベスラン学校占拠事件の犯行グループとその動機

(画像:Unsplash

ベスラン学校を占拠した犯行グループの殆どはチェチェン人といわれています。 背景は、北オセチア共和国と隣国チェチェン共和国の「真の独立」を目指す政治活動でした。しかし、何故子供たちが狙われたのか、このテロが起きた背景とは何かを解説します。

犯行グループはチェチェン人を中心としたイスラム過激派

カスピ海西部の国、特に今回の事件を起こしたチェチェン人とロシアの関係は中世からの遺恨が残る複雑な関係です。 チェチェンは1859年に帝政ロシアに併合されますが、1991年に独立を果たします。しかし、その後も紛争が続きロシアとの関係は決して良好なものではありません。 こうした複雑な歴史が絡みあい、ロシアに併合されたままの北オセチア共和国に不満を持ったチェチェン人が中心となり、過激なテロ行為に及んだものと思われます。