1979年10月25日に板野学社長が辞任

1979年10月25日に、「KDD事件」の責任を取って板野学社長が辞任します。摘発からわずか23日後という早さでした。密輸は会社ぐるみでおこなわれていて、贈答品などに使われていたことが発覚したので、社長は辞任せざるを得なかったと考えられます。 密輸品の総額はおよそ1億円以上ともなり、少なくとも20回以上の密輸がおこなわれていたことがわかっています。会社としては、何らかの形で責任を取らざるを得なかったのでしょう。

1980年に元社長秘書と前社長付参与が自殺

「KDD事件」を受けて、自殺者も出てしまいました。1980年1月24日に元社長秘書が自宅で首を吊って自殺してしまったのです。また、同年2月6日に前社長付参与が小田急線のホームから飛び込み自殺をしてしまいました。 これは「KDD事件」に対する罪の意識に耐えかねた結果だと考えられます。この2名の自殺は「KDD事件」を世間により深く印象付ける要因ともなりました。

1980年に複数の逮捕者を出す

「KDD事件」では、1980年に複数の逮捕者が出ました。佐藤陽一(さとうよういち)KDD前社長室長を業務上横領と関税法違反容疑で逮捕した後、松井清武(まついきよたけ)郵政省電気通信監理官と日高英実(ひだかひでみ)郵政省郵務局国際業務課長を収賄容疑で逮捕しました。 相次いで「KDD事件」の関係者を逮捕、起訴することによって事件の解決につなげていったのです。こうして事件の全貌が次第に明らかになり、誰が「KDD事件」に関係しているのかが浮き彫りになってきました。

1985年と1994年に確定判決

1985年に東京地裁において板野学元社長に懲役1年6ケ月という判決が下りました。また、佐藤陽一前社長室長には懲役3年が科され、松井清武管理官と日高英実事務課長には懲役1年と収賄額分の追徴金が科せられました。 その後、1994年に最高裁にて板野学元社長に関する上告が棄却され、懲役10ケ月という確定判決が下りました。それぞれに4年以下の執行猶予がつけられましたが、判決の結果については議論が分かれるところでしょう。