KDD事件の全貌とは?板野学社長や政界への影響も解説!

経済

2019年6月6日

今日においても政界や官界が絡んだ贈収賄事件が後を絶ちませんが、「KDD事件」も単なる密輸事件に止まらず贈収賄事件にまで進展しました。今回ビジキャリでは、この「KDD事件」を掘り下げます。事件の経緯だけでなく、関係者の関わりや官界、政界への影響についても解説します。

KDD事件の概要

KDD事件

「KDD事件」とは1979年に起きた汚職事件であり、密輸事件でもあります。この事件は政界に大きな影響をもたらしただけではなく、世論をもざわつかせました。 一体どのような事件で、何が起こったのかを詳しくご紹介していきます。汚職と密輸の裏側を暴いていきます。

国際電信電話株式会社(KDD)

KDD事件

「KDD」とは、正式名称を「国際電信電話株式会社」といい現在の「KDDI」のことを指します。「KDD」は1953年に日本電信電話公社から分離独立しました。 「KDDI」と聞くと、馴染みがある人も多いでしょう。「KDD」は、その「KDDI」の前身となる会社だったのです。「KDD」はこのように長い歴史を持つ会社でした。

KDD事件の経緯

KDD事件

「KDD事件」が実際にどのような経緯をたどったのか、ここでは「KDD事件」の経緯を説明していきます。 「KDD事件」の経緯を改めて確認することで理解を深めていきましょう。どういった事件であったかという全体像をより深く知ることができるようになります。

1979年10月2日にKDD社員2名が成田空港で摘発

「KDD事件」では、1979年10月2日にKDDの社員2名が成田空港において摘発されました。この2名はモスクワを訪問していた板野学社長に同行しており、成田空港にはロンドン経由で到着していました。 この2名を税関で取り調べると、持ち物の中から数千万円の高級なネックスレスやブローチなどが発見され、密輸がおこなわれていたことが判明しました。その後の調べで、この密輸が何度も繰り返されていた組織ぐるみのものであったこともわかりました。

1979年10月25日に板野学社長が辞任

1979年10月25日に、「KDD事件」の責任を取って板野学社長が辞任します。摘発からわずか23日後という早さでした。密輸は会社ぐるみでおこなわれていて、贈答品などに使われていたことが発覚したので、社長は辞任せざるを得なかったと考えられます。 密輸品の総額はおよそ1億円以上ともなり、少なくとも20回以上の密輸がおこなわれていたことがわかっています。会社としては、何らかの形で責任を取らざるを得なかったのでしょう。

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