日本政府が約2500万円で地権者から借り上げていたが、国有化した

1896年に日本政府は魚釣島、久場島、北小島、南小島の4島を実業家の古賀辰四郎氏に貸与します。 1932年貸与していた4島を古賀辰四郎氏の長男に15,000円(現在価値で約2,500万円)で払い下げます。 1990年代になり日中の領有権争いが激しさを増してきたことから、2002年には日本政府が年間約2,500万円で一旦借り上げます。2012年9月になって久場島を除く3島を日本政府が20億5千万円で購入して国有地とします。

尖閣諸島の歴史と日本の主張

尖閣諸島がどの国の支配下にもなく、なおかつ無人島であったことから日本政府は1895年に沖縄県に組入れました。その後民間人による水産事業などが行われますが、1940年からは再び無人島に戻ります。 この経緯を踏まえて日本政府は「尖閣諸島には領有権は存在しない」と主張します。

サンフランシスコ平和条約や沖縄返還時に日本領とされた

1945年第二次世界大戦における日本の敗戦で尖閣諸島を含む南西諸島は米軍の支配下におかれます。 1951年9月8日のサンフランシスコ平和条約の調印で日本は主権を取り戻しましたが、尖閣諸島については引き続き米国の施政権が及びます。 その後1971年6月17日に調印された沖縄返還協定に従い、翌年5月15日に尖閣諸島の施政権も沖縄県の一部として日本に返還されます。

中国もかつては尖閣諸島が日本領であると認めていた

1919年に尖閣諸島の沖合で中国船が難破しました。その乗組員を魚釣島の日本人が救助したことで、当時中国から感謝状が届きます。宛名は「大日本帝国沖縄県八重群尖閣諸島」でした。 過去の中国や台湾の地図を見ると尖閣諸島は日本の領土に入っています。しかし、1970年頃を境にして尖閣諸島が日本の領土から中国の領土にかわっています。 中国側もかっては尖閣諸島への関心が薄かったことで、日本の領土であることを認めていたのです。