旧優生保護法の被害者に対する救済法の制定

旧優生保護法の被害者に対する救済法の制定

  • 「旧優生保護法」は障害者等に対する強制不妊手術を可能とした法律
  • 昭和24年から平成8年までの間に約2万5千件の手術が実施された
  • 被害者が全国で国家賠償請求訴訟を提起し、救済法が成立して一時金の支給が決定

旧優生保護法の成立の背景や原因

旧優生保護法は、戦前の「国民優生法」が改正され1948年に制定された法律です。国民優生法はナチス・ドイツの「断種法」を手本にしており、「旧優生保護法」は、その断種政策を受け継いでいます。 現在は「母体保護法」に名称を変えて存続していますが、終戦からわずか3年後になぜそのような法律が制定されたのでしょうか。

人口の急増

「旧優生保護法」の目的は3つあります。一つには戦後の過剰人口を抑制するために、産児制限を行うというものです。 中国の「1人っ子政策」は聞いたことがあるかもしれませんが、手法は違えど目的はそれと似たようなものでしょう。ちなみに敗戦後の日本は経済社会の混乱を経て、1947年から1949年はいわゆる第1次ベビーブーム期を迎えた時期です。 人口増加率は外地(朝鮮半島・満州・台湾など)からの引き揚げ者も加わって、年率2%を超えていました。

女性の中絶の合法化

2つ目の目的は、女性の中絶の合法化です。刑法では「堕胎罪」が規定されているため、原則的には中絶は法律違反になります。 しかし、戦後の混乱期には、性被害により望まぬ妊娠をする女性や多産が原因で貧困に苦しむ女性が多数存在しました。そのため、一定の要件のもと中絶を合法とする必要があったのです。 例えば、処置を行えるのは「優生保護指定医の資格をもつ産婦人科医に限る」として、中絶を合法化したのでした。