浅間山荘事件についてわかりやすく解説!犯人グループは連合赤軍

経済

2019年9月19日

1972年に発生した浅間山荘事件は、新左翼組織である連合赤軍のメンバーが、長野県軽井沢に迷い込んだことにより引き起こされた人質たてこもり事件です。警察当局と犯人グループの攻防は10日間にも及び人質は無事救出されたものの、3人の犠牲者と26人の負傷者を出してしまう結果となりました。今回はこの事件を紹介します。

1分でわかる浅間山荘事件

1979年2月に発生した浅間山荘事件は安保闘争から引き続く学生運動を背景に、左翼組織撲滅に取り組んでいた警察当局に追い詰められた連合赤軍構成員による立てこもり事件です。 連合赤軍構成員の立てこもりは10日間にも及びますが、懸命の人質救出作戦の末、人質の救出に成功し犯人グループ5名全てを逮捕するに至りました。

浅間山荘事件とは

  • 連合赤軍の構成員が引き起こした籠城事件
  • 連合赤軍と警察当局の攻防は10日間
  • 人質は救出されたが犠牲者が3名

浅間山荘事件の概要

浅間山荘事件は、日米安保条約に反対して武力行使に出ていた新左翼組織「連合赤軍」が、警察の捜査から逃げていた最中に長野県軽井沢にある保養施設に迷い込んだことから発生しました。 当時の連合赤軍は極めて凶暴な左翼組織であり、逃走中は群馬県の山岳地帯にベースを張り、「総括」と呼ばれるリンチ事件を繰り返し多くの仲間を殺害しています。

1972年に起きた10日間に及ぶ人質立てこもり事件

事件は1972年当時長野県軽井沢にあった保養施設「あさま山荘」を舞台に、連合赤軍と警察当局による激しい攻防戦が10日間にも及び繰り広げられました。 事件当日、宿泊客や管理人は外出していたため不在でしたが、管理人の妻がたまたま留守番をしており10日間に及ぶ人質生活を余儀なくされたのです。 その間、管理人の妻は常に気丈に振る舞い、犯人グループが自動車での逃走を試みていると感づくとカギの場所を教えないなど勇敢な行動を取り続けました。

犯人グループは連合赤軍

犯人グループは「連合赤軍」と呼ばれる新左翼組織の構成員であり、これまでも銀行や鉄砲店を襲撃するなど数々の犯罪行為を繰り返し警察当局の捜査から逃れていました。 そもそも連合赤軍とは、日本共産党(革命左派)神奈川県委員会と共産主義者同盟赤軍派が組織統合されてできた組織です。 浅間山荘事件の直前までは、群馬県の山岳地帯を当初29名で逃走していましたが8名が逮捕されたほか、4人が逃亡、12名が「総括」と呼ばれるリンチのもとに殺害されています。

浅間山荘事件の経緯

浅間山荘事件は1972年2月19日に発生し、同月28日に連合赤軍構成員5名が逮捕され終結しますが、あくまでも計画的に犯行に及んだものではありません。 犯人グループが警察からの逃走過程において、偶然にも浅間山荘に辿り着いたことで引き起こされたものであり、新左翼組織による人質事件の中でも異彩を放っている理由でもあります。

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