砂川事件をわかりやすく解説!違憲判決や最高裁の見解などに迫ります!

経済

2019年9月16日

在日米軍の是非や憲法9条を語るとき「砂川事件」は必ず話題になります。最高裁が正面から判断を下した希なケースだからです。今回ビジキャリでは「砂川事件」をとりあげます。難しい用語や判決文も出てきますが、日本国民にとって非常に重要な事件ですので、しっかり理解しましょう。

1分でわかる砂川事件

砂川事件(すながわじけん)を知っていますか。 砂川事件は、アメリカ軍の基地拡張に反対する住民の反対闘争のことです。1957年に事件が発生し、その後裁判に発展し、1963年の最高裁の確定判決で決着をみます。 その過程でなされた最高裁判所の判決が「憲法9条が我が国の自衛権を否定するか」「安保条約に対して司法の審査権が及ぶか」などの重要な論点について判断を下しており、今日に至るまで重要な判例として影響を与え続けています。

砂川事件の概要

1957年7月8日、当時の東京都北多摩郡砂川町で,立川米軍基地を拡張するための測量に反対する地元民らが立入禁止の境界柵を破壊して基地に侵入、うち7名が安保条約刑事特別法違反として起訴されました。 この事件は、直接的には一つの刑事事件にすぎませんが、裁判所は無効な法律を適用して処罰することはできません。前提として旧安保条約の合憲性が争われることになったわけです。

米軍の立川基地の拡張への反対運動

事件の発端は終戦10年を経過した1955年です。同年3月、在日米軍は日本政府に立川ほか4飛行場の拡張を要求しました。同年5月に、立川基地拡張を通告された住民は、砂川基地拡張反対同盟を結成、総決起大会を開き反対を訴えました。 この反対運動は、町議会を巻き込み、その後労働組合や社会党、労働者農民党が闘争を支援するまでとなりました。 土地収用のための測量実施派と測量阻止派のせめぎあいが続く中、翌1956年10月には砂川町の芋畑で地元農民らと武装警官隊が衝突し、千人を超える負傷者が出る事態に至りました。

デモ隊のうちの7名が米軍基地内に侵入

政府はこの闘争を受けて測量中止を発表しました。しかし、翌1957年7月にふたたび事件が起こります。土地の返還請求訴訟を起こしていた基地内の民有地の強制測量に住民が反対したのです。 特別調達庁東京調達局(連合国の需要する建造物や設備、役務等の調達を行う国の機関)が強制的に測量を行ったことが原因となって、基地拡張に反対するデモ隊が、基地内に侵入しますが、その際立ち入り禁止境界柵を壊したのです。

7名が刑事特別法違反で起訴された

同年9月には学生や労働組合員23人が検挙され、そのうち7人が「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(現在の地位協定の前身)に伴う刑事特別法」第2条違反の罪(施設又は区域を侵す罪)に問われ、起訴されます。 同罪は、正当な理由がないのに、合衆国軍隊が使用する施設・区域の立ち入り禁止場所に入り、又は要求を受けてその場所から退去しない者に、1年以下の懲役又は2千円以下の罰金(当時)若しくは科料に処する罪です。

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