山岳ベース事件での総括の様子

「総括」とは左翼活動家がよりレベルの高い活動家になるため、自らの活動が理想とすべき理念に合致しているか自分自身で反省することです。 当初はメンバー間で自己批判を求め、総括が終わるまでは軍事訓練から外すなどの措置が取られていましたが、次第に厳しさを増し極寒の屋外に長時間正座することなどを要求するようになりました。 さらには「総括援助」と称して集団で暴行が加えられるようになりますが、森恒夫は「殴られて気絶すれば目覚めた時に真の革命戦士になれる。」といった理論を説き始めます。

遺体は証拠隠滅をはかられ埋められていた

1971年12月31日に総括による最初の犠牲者が出ると、約1か月半の間に12人もの若い命が断たれてしまいます。 また、総括だけでなく組織に対して裏切り行為があったメンバーには森恒夫から「死刑」が宣告され、最初から殺害目的でアイスピックやナイフで刺した後に絞め殺すといった凄惨な仕打ちが行われました。 犠牲となったメンバーは証拠隠滅のために山中に埋められましたが、他のメンバーは恐怖に苛まれ連合赤軍は内部崩壊の一途を辿ることになります。

山岳ベース事件の事件発覚から逮捕・裁判まで

(画像:Unsplash

山岳ベース事件は「連合赤軍」というわずか29人の小さなコミュニティにおいて、「総括」と呼ばれるリンチ殺人が秘密裏に繰り広げられ用意周到に隠蔽されていました。 そのため、事件発覚は後に勃発する「あさま山荘事件」後になりますが、どういった経緯で犯人は逮捕され裁判はどのように進められたのかについて解説します。

山岳ベースの1つに残された証拠から事件発覚

警察当局は連合赤軍が群馬県山中の潜伏していることを確信し山狩りを続けた結果、迦葉ベースを発見し被害者のものと思われる遺留品を押収されました。 被害者の遺留品を突きつけられたメンバーの一人が犯行を供述すると、ようやくあさま山荘事件で逮捕されたメンバーも自供し始めます。 さらに、3月8日には絶対的な指導者であった森恒夫が前橋地裁に事件の全容を記した「上申書」を提出したことで、他のメンバーは供述せざるを得なくなるのです。