榛名ベースなど他の拠点もあった

山岳ベースといえば「榛名ベース」が有名ですが、そのほかにも「新倉ベース」「釈迦葉ベース」など複数のベースが存在します。 山岳ベースを最初に作ったのは、連合赤軍に統合される前の革命左派ですが、彼らは数々のテロ行為を繰り返していたため指名手配されており都市部での活動が困難になっていました。 そのため、彼らは山岳地帯にアジトを作らざるを得なくなりましたが、警察から逃れながら各地を転々としたことから複数の拠点が存在するのです。

山岳ベース事件での主犯は森恒夫・永田洋子

連合赤軍の最高指導者には赤軍派の森恒夫、ナンバー2には革命左派の永田洋子が就任しますが、この2人が「山岳ベース事件」での主犯となります。 当初、山岳ベースでは「革命」を起こすためのアジトとして軍事訓練などを実施していましたが、次第に「総括」と呼ばれる自己批判を求めるようになるのです。 「総括」は自らが自己批判するだけでなく、次第に周囲のメンバーが暴行を加える「総括援助」へとエスカレートしていきます。これらを主導したのが森恒夫と永田洋子でした。

山岳ベース事件の被害者は高学歴な同志たち

山岳ベースに集まった29人のメンバーはいずれも高学歴の持ち主であり、それぞれ高い理想を持って入山した人々でした。 「山岳ベース事件」の犠牲となったのは横浜国立大学や岡山大学、京都大学といった国立大学のほか、早稲田大学や明治大学といった有名私立大学の学生・卒業生だったのです。 高学歴ゆえに「日本に革命を起こす」といった高い理想を掲げることとなった反面、妄信的に理想を追い求めてしまい悲惨なリンチ殺人事件を引き起こしてしまったともいえるのです。

森・永田は暴力を「敗北死」と呼び加害者の心理を操った

森恒夫と永田洋子による総括は日ごとに過激化していきました。メンバー達は恐怖のあまり彼らを止めることができなくなりました。 1971年12月31日にはついにメンバーの一人が総括という集団暴行で死亡してしまいました。森恒夫と永田洋子はこの死を「敗北死」と位置づけました。 二人は暴力による「総括援助」を正当化し、メンバー達の心理を操っていきました。