埼玉県飯能市で発生した2つ目の事件

宮崎勤はこの事件のあと殺害して死後硬直で固くなった遺体に対してわいせつ行為を行い、その様子をビデオ撮影するという行動に出ました。のちに精神障害が疑われたのはこの奇怪な行動も一因でした。 この事件の捜索に進展がないまま第2の事件が発生します。1988年10月3日埼玉県飯能市で7歳の女児が誘拐されます。宮崎勤は路上で「道がわからなくなったのでおしえてくれるかい。」などと話し、車に乗せて誘拐し同じく五日市町の山林で首を締めて殺害したのでした。

埼玉県川越市に発生した3つ目の事件

第3の事件は、第2の事件から2か月後の1988年12月9日に起きました。埼玉県川越市に住む4歳の女児を誘拐しますが、全裸にして写真を撮ったあと、泣き止まない女児の首を絞めて殺害しました。そして遺体はこれまでと別の名栗村(現飯能市)の山林に遺棄しました。 第1・第2の事件と異なってこの事件では遺体は早くに発見されたこともあり、埼玉県警でも殺人事件として捜査本部が立ち上がりました。

東京都江東区で発生した4つ目の事件

第3の事件後犯行声明文を被害者宅や新聞社に送るなどの行動をとった宮崎勤ですが、第4の事件は第3の事件の約半年後の1989年6月6日に起きました。東京都江東区東雲の団地に住む5歳の女児を誘拐し、これまでと同様に車に乗せて首を締めて殺害しました。 殺害後遺体を自室に運び込んでビデオ撮影するなどした宮崎勤は自宅でノコギリなどを使って遺体を切断し、飯能市の霊園や五日市町の山林などに投棄しました。

宮崎勤の生い立ち

このように4人の幼女を誘拐しては残酷無比に殺害を繰り返す宮崎勤の生い立ちとは、いったいどういったものだったのでしょうか。ここでは幼少期から学生時代を経て社会人生活に至るまでの宮崎勤について見てみましょう。