西郷隆盛帰還のデマが流れ、西南戦争の勲章剥奪を恐れた

当時西郷隆盛は西南戦争で亡くなっておらず、ロシア帝国のニコライ皇太子の来日と同時に帰還するというデマが広まっていました。 津田三蔵はこのデマを信じていたと思われ、訪日したロシア皇太子が真っ先に来なければならないのは天皇のいる東京でなければならないのに、鹿児島へ先に行ったのはそこに西郷隆盛がいたからだと思い込んでいたようです。 津田三蔵は西郷隆盛が生きて戻れば西南戦争でもらった勲章が取消されるという危機感を抱いていたことも犯行動機の一つとされています。

大津事件の歴史的意義

(画像:Unsplash

大津事件は弱小国日本が強国ロシア帝国を相手にした事件で、ロシアの報復を恐れる日本政府は皇室罪を適用して犯人を死刑にするよう司法に圧力をかけます。大津事件は日本の三権分立にどのような影響を与えたのでしょうか。

行政に干渉されながらも司法の独立を維持

事件後の問題は津田三蔵に対する刑罰でした。青木周蔵外務大臣は事前に駐日ロシア公使に皇太子が危害にあった場合は皇室罪を適用すると密約していました。 このため事件後ロシア公使から津田三蔵の死刑が要求されました。松方正義首相など 明治政府首脳も大逆罪による死刑を主張して司法に圧力を加えました。 これに対し大審院院長の児島惟謙は外国や政治の圧力に屈して大逆罪にすれば法を曲げることになると主張して、結局津田三蔵は一般人適用される謀殺未遂罪による無期懲役となり司法の独立が維持されました。

事件後、三権分立の意識が広まる

大津事件の判決はロシア帝国という強国を相手にした事件であったために、行政から圧力を受けながらも司法の独立を維持して三権分立の意識を広めた事件として、近代日本法学史上重要な意味があります。 海外でもこの判決が新聞などで大きく取り上げられ日本の司法権への信頼が国際的に高まり、当時進行中だった不平等条約改正へのはずみとなりました。 しかし大津地方裁判所で扱われるべき事件が正常な手続きなしで大審院で行われたことと直接裁判に関係しない児島惟謙による干渉等の問題は残されました。