天安門事件とは?

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中国で起こった「天安門事件」から30年以上が経過しました。しかし、未だに事件の詳細は不明であり、様々な憶測やデマが流れている状況です。 こういった事態を引き起こしているのは中国共産党による一党独裁制が長く続き、事件のもみ消しが行われたせいです。ここで、改めて「天安門事件」の原因や概要などについて解説します。

中国の民主化を求めた国民によるデモ

「天安門事件」の発端は、中国の民主化を求める国民による大規模なデモです。中国では長く中国共産党が国家を支配していましたが、当時国民の不満が爆発寸前でした。 一党独裁制は国家の決断を早くするといったメリットはあるものの、中国共産党では一部官僚が利益や地位を独占し汚職が蔓延していたことから国民の不満が溜まっていったのです。 そのため中国国内では貧富の差が激しく民主化を求める声が日増しに強まっており、民衆が立ち上がるのは時間の問題だったといえます。

胡耀邦の死を受けて起きた

民主化を進めるにあたっては、優れた指導者もしくはカリスマ的な存在が必要です。当時の中国では胡耀邦がそれにあたります。 胡耀邦は中国共産党中央委員会総書記長の地位にありました。しかし利権に溺れることなく中国の民主化を推進する「百花斉放・百家争鳴」を唱え、国民から大きな支持を集めていました。 ところが胡耀邦は長老らの反発に遭い、総書記長の座を追われ1989年4月15日に脳梗塞により死去します。胡耀邦の死を受け学生らを中心とした追悼集会が開催され「天安門事件」へとつながっていくのです。