下山事件の真相と真犯人

下山事件発生当初は、国鉄労組が人員削減を阻止するために行われたという観点で捜査が進められていました。しかし自殺か他殺かを結論づけることもできず、真相や真犯人に関する公式発表はされていません。 当時の捜査一課は自殺であると発表しようとしましたが、実現することはありませんでした。

1964年7月に時効となる

1949年12月31日自殺か他殺かを結論付けることなく、下山事件特別捜査本部は解散しました。 その後は警視庁捜査二課が中心となって、捜査を進めていました。しかし1950年になると捜査員の転勤や規模縮小を余儀なくされ、捜査は事実上打ち切られました。 そして1964年7月6日、下山事件の殺人事件としての時効が成立しました。

下山事件と三鷹事件・松川事件の関係性

国鉄三大事件として語り継がれている「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」は、すべて1949年に国鉄で起こりました。 三鷹事件とは7月15日に中央本線の三鷹駅で無人列車が暴走した脱線事故で、死者6名・負傷者が20名に上っています。松川事件は8月17日に東北本線松川駅-金谷川駅間のレールが故意に外され、脱線事故が起こり3名が死亡しています。 この3つの事件はレッドパージと呼ばれる、共産党員の労働運動弾圧のために行われた謀略であるという説が有力です。

解決は難しいか?

下山事件の経緯や自殺説・他殺説などについてお話ししてきましたが、理解していただけましたでしょうか。 三鷹事件は解決しましたが、下川事件は松川事件と共に未解決のままです。そのため、今なお真相解明に取り組む作家が少なくありません。時代背景を理解したうえで様々な作品に触れる人が増え、事件を風化させないことが重要です。