下山事件とは国鉄総裁の下山定則が遺体となって発見された事件

「下山事件」は事件発生から70年を経過した現代でも、注目度が高い未解決事件です。第二次世界大戦から復興に向かっていた1949年、当時の国鉄総裁・下山定則氏が轢死体(れきしたい)として発見されたという事件でした。

下山事件の概要と経緯

下山事件が発覚したのは、1949年7月6日未明です。前日5日に出勤途中で行方不明になっていた下山定則氏が、国鉄常盤線の北千住駅と綾瀬駅の間で轢死体となって発見されました。

下山定則は三越に入った後失踪

下山定則氏は毎日、公用車であるビュイックに乗って通勤していました。1949年7月5日もいつも通り、8時20分に自宅を出発して会社に向かいました。 その日下山定則氏は運転手に、日本橋の三越に寄るように指示します。しかし開店前だったため行先を国鉄本社側にある千代田銀行(現在の三菱UFJ銀行)に変更し、運転手は下山定則氏の指示通りのルートを辿って三越に戻りました。 「5分ほど待つように」と運転手に言い残した下山定則氏は、そのまま失踪しました。

失踪後複数の目撃情報

国鉄内で下山定則氏の失踪が明らかとなり警察に通報すると、捜査員はその足取りを調べ始めました。 すると三越店内だけでなく、浅草方面に向かう営団地下鉄銀座線の電車内で目撃されていることが判明しました。さらに5日の13時40分に東武伊勢崎線五反田駅で、改札係と会話したことも明らかになりました。 そして14時から17時過ぎまでは五反田駅近くの末広旅館に滞在し、その後に下山定則氏に似た男性が東武伊勢崎線沿線に向かっている姿が目撃されていました。