西成暴動(釜ヶ崎暴動)とは24回起きた日雇い労働者による暴動。被害や暴動にちなんだビールや宮迫さんの関係を解説。

経済

2019年10月20日

大坂西成は東京の山谷ととともに、日雇い労働者の住むドヤ街として有名です。このような地区ではこれまで度々暴動騒ぎが起こっています。今回ビズキャリオンラインではこの「西成暴動」をとりあげます。時代とともに変化する暴動の形の推移や、変わりつつある西成の姿も見ていきます。

1分でわかる西成暴動(釜ヶ崎暴動)

西成暴動(釜ヶ崎暴動)とは

  • 大阪市西成区(あいりん地区)において勃発
  • 日雇い労働者による暴挙
  • お笑いタレントの宮迫博之氏が巻き込まれた

西成暴動(釜ヶ崎暴動)とは、大阪市西成区(あいりん地区)において1960年代~2000年代まで24回にもわたり勃発した労働者の暴動です。 お笑いタレントの宮迫博之氏がデビュー当時に巻き込まれたことを告白しています。

西成(あいりん地区)とは

西成(あいりん地区)は旧地名から「釜ヶ崎」とも呼ばれる大阪市西成区の北部に位置する地域であり、JR新今宮駅を中心に簡易宿泊施設が密集し路上生活者も多く住んでいます。 この地域には古くから日雇い労働者が多く集まり、暴動が頻繁に起こる地域としてとして知られていますが、どういった特徴をもつ地域なのか解説します。

日雇い労働者が集まるドヤ街

西成(あいりん地区)は日雇い労働者が集まるドヤ街として知られていますが、戦前は「釜ヶ崎」と呼ばれ田畑が広がる農村地帯でした。 しかし現在の浪速区付近に広がっていたスラム街「名護町」の強制立ち退きのあおりを受け多くの移住者が入り込み、その人々を収容する「木賃宿」が多く作られました。 この「木賃宿」も1945年に空襲で焼失してしまうと下宿旅館の街として再出発を図りましたが、やがて日雇い労働者が集まるようになり1950年代にはドヤ街が出来上がったのです。

宿泊施設や職業紹介所などが存在

西成(あいりん地区)は戦前「釜ヶ崎」と呼ばれていた頃に名護町にあったスラム街の住民を受け入れたことで、現在の簡易宿泊施設が集まる街の下地が作られました。 1945年の空襲で焼失したにも関わらず日雇い労働者などが集まってきた背景には立地条件の良さがあり、戦後はさらに多くの地域を含めた巨大なドヤ街を形成することになります。 それに伴って職業紹介所も数多く点在するようになりますが、その大半は公共のものではなく手配師や暴力団によるものでした。

治安は悪い

1950年代から西成(あいりん地区)は日雇い労働者が集まるドヤ街として急速に人口が増加し、簡易宿泊施設やアパートが密集していきます。 当時の住民の50%近くの住民は簡易宿泊施設もしくはアパートで生活しており、定職を持つものはそのうち40%程度であったため不就学児童も少なくありませんでした。 また暴力団の拠点も数多くあったことから治安は悪化の一途を辿り、麻薬密売や盗品売買、売春といった違法行為が行われたのです。

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