保導連盟事件の概要

大東亜戦争の後も韓国は北朝鮮の脅威を感じていたため、李承晩大統領は国内に北朝鮮のスパイが潜伏していると疑っていました。保導連盟は韓国の赤化を防ぐために組織されましたが、同時に共産主義者のリスト作りに利用されていたのです。 罪のない国民が命を落とした保導連盟事件とはどの様なものだったのでしょうか。

1950年に韓国で起きた、李承晩はじめ国家機関による大量虐殺事件

1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発し北朝鮮が韓国に侵攻を始めると、北朝鮮軍はあっという間に首都ソウルを陥落させました。 時の大統領李承晩と政府高官の多くは、北朝鮮の猛攻から逃れるためにソウルを捨てて朝鮮半島の南、釜山(プサン)へと逃走してしまいます。 更に李承晩は北朝鮮の猛攻は自国にスパイが潜伏し内通者いるためだと決めつけ、保導連盟の人々をスパイとして虐殺を始めました。

国民保導連盟の加盟者や、収監中の政治犯や民間人が犠牲に

李承晩の虐殺よって犠牲になった人は、保導連盟に加入していた共産主義からの転向者や収監中の政治犯、民間人でした。 北朝鮮の侵攻から国民を守るべき政府が釜山に逃げたことで、国民の怒りは頂点に達していました。そのガス抜きとして李承晩は、政治犯と疑われる人々をスケープゴートとして虐殺しました。 共産主義者として疑われた人達は、保導連盟が持つブラックリストに登録されており、その人達が真っ先に犠牲となりました。