DNA鑑定で犯人と断定される

久間三千年を犯人だとするする証拠となったのは、久間の自動車の座席に使われている繊維片が女児の衣服に付着していたものと一致したことです。 さらに、目撃証言や自動車の後部座席に被害者のものらしき血痕及び尿痕が発見されたこと、久間本人や妻の供述に曖昧な点がいくつもあることでした。 そして、決め手となったのが被害者に付着していた血痕をDNA鑑定したところ久間のものと合致したことですが、後々、このDNA鑑定が「飯塚事件」の大きな鍵を握ることになるのです。

犯人・久間三千年

「飯塚事件」の犯人として1994年に逮捕された久間三千年は一貫して無罪を主張してきましたが、再審請求を準備していた2008年に死刑が執行され帰らぬ人となりました。 死刑執行後も冤罪疑惑が払拭されないままですが、猟奇的ともいえる犯罪を犯したとされる久間三千年はどういった人物だったのでしょうか?

久間三千年の生い立ち

「飯塚事件」が発生した当時52歳であった久間三千年は1940年1月9日生まれであり、まさに高度経済成長を体現した世代だといえます。 公務員として働いてたこともありましたが、事件当時は専業主婦として妻と2人の子供と生活しており、収入源は妻の給料と自身の年金でした。 平日は妻を職場まで送り迎えを行い、休日には家族でドライブに出かけるなど平凡な生活を営んでおり、「飯塚事件」発覚時は町内会長として捜査協力を申し出るなど正義感の強い一面ももっていました。

久間三千年は冤罪を主張

久間三千年元死刑囚は事件直後の1992年2月25日に事情聴取を受けていますが逮捕には至らず、2年後の1994年9月23日に新たな証拠が見つかり逮捕・起訴されています。 逮捕前にはマスコミの取材に応じて「100%犯人ではない」「白黒必ずつける」とを答えており、その姿勢は逮捕後も一切ブレることはありませんでした。 逮捕直後も久間三千年元死刑囚は冤罪を主張し続けており、死刑確定後には再審請求を行う準備に意欲を燃やしていました。