重度の難聴やうつ病に苦しんでいた

マイケル・デニスは幼少期、重度の難聴を患っていました。そのせいで吃音にも悩まされていました。 当時を知る友人は、マイケル・デニスは補聴器を使ってさえも日常生活を送ることが大変そうだった、と証言しています。そういった事情から、人と話をすることも少なかったようです。 マイケル・デニスは後にうつ病にもなっており、担当の精神科医に普通に過ごすことのつらさを吐露していました。

事件の7年前にアーバートと離婚

工場の塗装工として働いていたマイケル・デニスは、理学療法士だったドリーン・アーバート(当時は別の姓)と出会い、数ヶ月後に結婚しました。そしてポールという息子が生まれました。 しかし育児のすれ違いから2人は1977年に離婚します。マイケル・デニスはポールを大事にしていたようですが、親権はドリーン・アーバートのものとなりました。 それから3年後、4歳となったポールが自宅プールで溺死するという事故が起こりました。マイケル・デニスはドリーン・アーバートと再婚相手のチャールズを恨んで、訴訟まで起こしています。

裁判の末マイケル・デニスは死刑

マイケル・デニスは裁判において、ドリーン・アーバートと8ヶ月の胎児を殺害した容疑で、死刑判決を下されました。 マイケル・デニスは事件で仮装していたはずですが、どういった経緯で逮捕され、罪に問われる結果となったのでしょうか?

証拠や血液型の一致

事件の後、捜査当局はドリーン・アーバートの夫チャールズと、近隣に聞き込みを行いました。そこでマイケル・デニスとの間で、ポールの死に関係したトラブルがあったことが明らかとなったのです。 マイケル・デニス宅に急行した警察官は、ハンドルが血塗れになった車や様々な証拠を発見しました。 さらにマイケル・デニスの血液型と、犯行の際に怪我を負っていた犯人の血液型が一致したことから、マイケル・デニスは逮捕されました。