渋谷などの大都市での闘争が検討されていた

1971年11月になると沖縄返還協定批准の機運が高まりますが、中核派はより多くの国民にアピールするために渋谷など大都市での暴動を画策していました。 そして、11月10日に沖縄ゼネストでの大暴動が勃発すると、中核派は沖縄返還協定批准阻止闘争において「渋谷に大暴動を」と掲げて武力行使を促します。 中核派の動向を察知した警察当局は、全国から機動隊員を渋谷に動員し厳戒体制を敷いていましたが、中核派の学生たちはスーツ姿などで変装して群衆に紛れ込んでいたのです。

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渋谷暴動事件の概要

(画像:Unsplash

渋谷暴動事件は1971年11月14日に、渋谷駅周辺で火炎瓶や鉄パイプで武装した中核派の学生ら400人によって引き起こされ、警察官1名が殉職しました。 警察当局は全国から警察官を動員し厳戒態勢を敷いていましたが、当日は5,000人もの学生らが渋谷に集結し大規模なデモ活動を行っていたこともあり現場は大混乱に陥ったのです。

中核派が渋谷で火炎瓶などを用いて暴動を起こした

渋谷暴動事件が起きた11月14日は中核派の呼びかけで、6,000人もの左翼系過激派が渋谷に集結し沖縄返還協定批准に反対するデモ活動を行っていました。 警察当局は全国から警察官を動員し厳戒態勢を敷いていましたが、学生たちはスーツ姿などで渋谷駅周辺に紛れ込み、突如火炎瓶などを用いて暴動を引き起こしたのです。 そのため、不意を突かれた警察当局は防戦一方となり、けが人が続出するなどあたりは修羅場と化してしまいました。

機動隊の1人が暴行を受け、火炎瓶により火だるまになり死亡した

中核派に殺害された中村警部補(当時巡査)は新潟県警から派遣され、関東管区機動隊新潟中央小隊27名の一員として神山派出所周辺の警備にあたっていました。 しかし、突然中核派の学生ら150人に襲撃されたため小隊は撤退を試みますが、火炎瓶を投げ込まれ大苦戦を強いられます。 ガス銃を装備していた中村警部補が応戦するもガス弾を撃ち尽くしてしまい、複数の中核派の学生に鉄パイプで暴行を受け、火炎瓶により火だるまになり死亡してしまうのです。

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