渋谷暴動事件をわかりやすく説明します。大坂正明や判決に関する詳細を徹底調査!

経済

2019年10月6日

「渋谷暴動事件」は今なお決着がついていない昭和の事件です。主犯の大坂の逮捕によりやっと幕引きの目処が立ちつつあります。今回ビズキャリオンラインではこの「渋谷暴動事件」をとりあげます。警察官が暴徒に殺害される経緯だけでなく、犯人達の裁判の詳細にも迫っていきます。

1分でわかる渋谷暴動事件

「渋谷暴動事件」とは、日米の間で批准しようとしていた沖縄返還協定に反発する革命的共産主義者同盟(中核派)が「渋谷で暴動を」と呼びかけたことにより、1971年11月14日に発生した暴動事件です。 警察官1名が殺害されましたが、7人の犯人のうち主犯格の大坂正明は46年にわたる逃亡の末、2017年にようやく逮捕されました。

渋谷暴動事件とは

  • 1971年に発生した暴動事件
  • 犯人は沖縄返還協定に反発する中核派
  • 主犯格の大坂正明は2017年に逮捕

渋谷暴動事件の起きた背景

戦後、沖縄はアメリカの統治下に置かれ、軍の重要な拠点としての役割を担わされていたため、沖縄の日本復帰は日本国民の悲願でしたが沖縄返還協定にはアメリカ軍基地の撤退は含まれていなかったのです。 これに対して日本社会党や日本共産党は猛反発し、中核派をはじめとする左翼系過激派は各地でデモ活動を繰り広げていました。

【関連記事】沖縄返還関係記事はこちら

中核派などの学生運動が当時は活発だった

日米安保条約は1960年及び1970年に延長されますが、これに反対する中核派などの学生運動が激化しており、警察当局と激しい攻防を繰り広げています。 日本は日米安保条約の下、他国からの脅威から守られていましたが、アメリカの従属国といった位置付けであることも事実でありその象徴が沖縄でした。 そのため、中核派などの左翼系過激派にとって沖縄にアメリカ軍基地を残す「沖縄返還協定」は許し難いものであり、学生運動はますます激しくなったのです。

中核派による沖縄返還協定に関連する闘争が起きた

70年安保闘争において過激なテロ活動を繰り広げていた中核派など左翼系過激派は、沖縄返還協定批准に猛反発し各地でデモ活動を繰り広げています。 1971年11月10日には沖縄県浦添市でゼネラル・ストライキが行われ、全沖縄労働組合、日本官公庁労働組合協議会、教職員組合員ら約15万人が集結しました。 その際にも火炎瓶などで武装した中核派が紛れ込んでおり、特別警備隊体制を敷いていた琉球警察と衝突し警察官1名が殉職するといった事件が勃発しています。

渋谷などの大都市での闘争が検討されていた

1971年11月になると沖縄返還協定批准の機運が高まりますが、中核派はより多くの国民にアピールするために渋谷など大都市での暴動を画策していました。 そして、11月10日に沖縄ゼネストでの大暴動が勃発すると、中核派は沖縄返還協定批准阻止闘争において「渋谷に大暴動を」と掲げて武力行使を促します。 中核派の動向を察知した警察当局は、全国から機動隊員を渋谷に動員し厳戒体制を敷いていましたが、中核派の学生たちはスーツ姿などで変装して群衆に紛れ込んでいたのです。

【関連記事】学生運動が引き起こした事件についてはこちら!

1/4

続きを読む

関連記事