表現の自由と公共の福祉

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表現の自由は憲法で保証された国民の権利の1つです。これによってどんな人でも、思想や主張をあらゆる手段で自由に表現してもよいことが保証されています。 ただし無制限に許されているわけではなく、公共の福祉に違反しない範囲であることが条件です。個人の身勝手な行為で他人の権利を侵害してはいけない、と言い換えてもよいでしょう。 日本では国民1人1人の権利を平等に認めているがゆえに、表現の自由が他人の権利を侵害することを認めていないのです。

猥褻と芸術は紙一重?

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表現の自由と公共の福祉はしばしば衝突する概念で、特に芸術の分野では裁判沙汰にまで発展することがあります。 裁判にまでなる芸術の分野における表現の自由とは、男女の性的表現に踏み込んだものが多く見られます。行きすぎた性的表現の裁判では公共の福祉に反する、いわゆる猥褻に当たるかどうかが1つの争点となります。 改めて後述致しますが、性的表現を盛り込んだ作品が芸術とされるか猥褻と判断されるかは、ほとんど場合で見る人の主観に左右されます。芸術における猥褻扱いとはそれほどまでに紙一重の差でしかないのです。

「猥褻」という曖昧で不確かなもの

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刑法175条には人目に触れる場所で公序良俗に反するものの公開を禁止する、わいせつ物陳列罪があります。この猥褻の定義について、「チャタレイ夫人の恋人事件」で最高裁は以下のように定義しています。 ・いたずらに性欲を興奮または刺激する ・普通の人の正常な性的な羞恥心を害する ・善良な性的道義観念に反する 一見すると理論だっているように思えますが、実際には何が性欲をかき立てるのか、あるいは羞恥心を覚えるのかは個人によって千差万別です。性的道義観念に至っては、時代によって変化する概念なので、その時々によって著しく異なる可能性があります。

アダルトビデオは猥褻ではないのか?

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前項で猥褻の定義について少し触れました。そこで当然の疑問となってくるのが、成人向けに流通販売されているアダルトビデオの存在でしょう。アダルトビデオが公然猥褻に相当するかどうかは、以下の2点で判断されるようです。 ・男女の性交渉の撮影が不特定多数の衆目に晒されていないこと ・性器が編集で映像処理(モザイク)されており、直視できない状態であること 基本的に男女の性行為を業務で公開することは刑法などで禁止されています。アダルトビデオはモザイクで見えない状態を作り出すことで、見かけ上で性交渉をしていない体裁を整えて禁止から逃れています。ゲリラ撮影や無修正アダルトビデオが逮捕されているのはこのためです。