首相としてのキャリア

中曽根康弘元首相は、1982年に第71代内閣総理大臣に就任します。中曽根康弘元首相の主な国内政策は「行財政改革」で三公社の民営化や歳出削減を行いました。 「三公社民営化」とは、日本専売公社、日本国有鉄道、日本電信電話公社の3社を民営化する政策です。2つ目は「マイナス・シーリングの導入」です。財政を一律5%カットすることで歳出を大幅に削減しました。 外交ではロナルド レーガン大統領との交流を深め、日米安保の強化に尽力しました。しかし、この時期は日米貿易赤字が顕著になり、プラザ合意といわれる円高ドル安の金融政策が米国主導で行われました。

中曽根康弘元首相の不祥事や批判

(画像:Unsplash

中曽根康弘政権では、藤尾正行文部大臣が韓国との歴史問題で不適切と取られる発言をしたとして罷免されました。また、自身も差別的な発言を取り上げられ問題となります。 選挙中には、公約した大型間接税は導入しないとしながら導入を検討していることが判明し、公約違反だと非難され支持率が急落します。更に大きな贈収賄事件や疑獄事件で名前が上がり一大スキャンダルとなりました。

リクルート事件

1984年12月から1985年4月にかけて、リクルート会社の江副浩正会長が子会社のリクルート・コスモスの未公開株を大物政治家に譲渡し、その株式の売買益を政治家に流していたのです。その額は約6億円といわれています。 1988年6月18日、川崎市の助役が同じくリクルート・コスモスの株式を譲渡されていることを、朝日新聞がスクープとして取り上げたことで問題は広がっていきました。 この事件で中曽根康弘元首相は立件こそされませんが、証人喚問を受け疑惑を追及されました。1989年5月29日に捜査終了宣言が出されますが、竹下登内閣は総辞職に追い込まれました。

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ロッキード事件

ロッキード事件とは、全日空の旅客機の導入選定に田中角栄元首相が関与した疑いで受託収賄と外為法違反で逮捕された事件です。 ロッキード社の児玉誉士夫と中曽根康弘元首相は親しい間柄で、中曽根康弘元首相もこの事件に深く関与していた疑いがあるといわれ、丸紅を通じて軍用機などを売り込むことを画策していたという噂が流れました。 事件は様々な疑惑を解消せず田中角栄元首相が逮捕され幕を閉じました。

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