中曽根康弘元首相が101歳で死去

中曽根康弘元首相が死去

  • 中曽根康弘元首相が101歳で死去
  • 三公社の民営化や歳出削減などの行政改革に着手
  • 世界平和研究所の設立や原子力政策に尽力した

中曽根康弘元首相の経歴と功績

中曽根康弘元首相は、1934年の第2次岸信介改造内閣の科学技術長官で初入閣し、原発政策などに尽力しました。その後も防衛庁長官、自民党総務会長、幹事長など政権の要職を歴任しました。 1955年の鈴木善幸(すずきぜんこう)内閣の行政管理庁長官に就任し、行政改革に向けた政策案に携わりました。政治家時代は憲法改正を掲げ活動を続けました。

東京帝国大学から内務省、そして衆議院議員

中曽根康弘元首相は静岡県の名門校である静岡高等学校を卒業後、東京帝国大学(現東京大学)法学部政治学科に進みます。 1941年に同校を卒業後は内務省に入省します。その後、海軍の主計中佐に任官し呉鎮守府に配属され主計長に任命されました。 大戦中を戦地や内地で過ごした終戦後に内務省へ戻りますが、1946年に同省を退職します。その後は政治家の道へと進み保守派の民主党(日本民主党)へ入党し、1947年の衆議院議員選挙で初当選を果たしました。

大臣としてのキャリア

中曽根康弘元首相は初当選以降、連続20回の当選を果たしています。1959年の第2次岸信介内閣では、科学技術庁長官として初入閣し、1967年の第2次佐藤栄作内閣では運輸大臣に就任しました。 1972年の第1次田中角栄内閣では通商産業大臣に就任します。1980年の鈴木善幸内閣では、行政管理庁長官に就任するなど要職を歴任しました。 内閣総理大臣となった中曽根康弘元首相は、「行政改革は私の使命である」という決意を述べ「増税なき財政再建」を掲げ歳出削減などに取り組みました。