組員同士の抗争が絶えない

山口組が3派に分裂して以降、組合員同士の抗争は後を絶ちません。極道の世界で盃は絶対的な力を持っており、盃を交わしたものが別組織を結成することは許されません。 つまり山口組抗争はもともと「同じ釜の飯を食ったもの同士」の抗争であるため、より裏切られた感も強く簡単に収束できない状況に陥っています。 さらに2015年に起きた山口組抗争は絶対的な実力者である高山清司若頭が不在の最中に起こったものです。そのため事態を収拾できる人物がいないことも抗争を激化させています。

山口組抗争、分裂の原因

(画像:Unsplash

山口組抗争、分裂の主な原因は「主導権争い」です。山口組は三代目田岡一雄組長が全国制覇を成し遂げ、日本最大級の暴力団に成長しました。 ところが1980年代に入り田岡一雄組長が死去すると、跡目相続問題が噴出し「山一抗争」が勃発します。その後、渡辺芳則(山健組)が五代目に就任すると、しばらくは分裂騒動は沈静化しました。 しかし2005年に篠田種市(弘道会)が六代目に就任すると、2015年には山健組との「主導権争い」が表面化し山口組抗争、分裂へと展開していくのです。

山口組抗争の最新事件から主要事件まで

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山口組において1984年から約5年間続いた「山一抗争」は多くの犠牲者を出すことになりました。この抗争を重く見た政府は「暴力団対策法」を施行し、組織の壊滅に取り組みます。 その甲斐あって抗争事件は鎮静化していたものの、2015年に神戸山口組が結成されると瞬く間に抗争が激化するのです。そこで山口組抗争の最新事件や主要事件について解説します。

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中田浩司が山口組組員へ発砲した

山口組と神戸山口組の抗争が激化する中、2019年8月には山口組高山清司若頭の自宅前で弘道会系組合員が銃撃されました。 この事件の実行犯として同年12月に逮捕されたのが山健組中田浩司組長です。中田浩二組長は自らバイクに乗って発砲したとみられています。 山健組といえば山口組五代目渡辺芳則組長を輩出した名門中の名門です。本来ヒットマンは若い組員の仕事とされています。しかし山健組の組長自らが実行犯となったことに警察関係者も驚きを隠せませんでした。