日本に帰国後富士ゼロックスに入社

アメリカからの帰国後、今度は当時最大手の企業だった富士ゼロックスに入社します。当時はまだ浸透していなかったサテライトオフィスの設置にも関わりました。 その他にも留学で得た英語力を活かしてシンガポールへと単身赴任し、国際的に活躍の幅を広げていきます。後に外務大臣として使われる国際政治の才能も、この時から開花していたとも言えるでしょう。 政治活動を始める1996年までは富士ゼロックスで働いていました。

自民党から出馬し衆議院議員となった

河野太郎は自信33歳の時に満を持して政界へと足を踏み入れます。その背景には父の選挙区が分割されたことがありました。 自民党公認で衆議院選挙を戦い抜き、激しい争いの末見事当選します。自民党内では父の背中を追い、河野グループと呼ばれる派閥に属していました。 入閣するまでは「政界の異端児」と呼ばれるほど際立った発言が注目されます。東日本大震災後には脱原発を叫び、メディアにも大きく取り上げられました。

外務大臣を経て防衛大臣に任命された

2015年に初入閣し、その2年後には父も務めた外務大臣に抜擢されます。外務大臣とは日本の外交関係を統括するトップの存在です。語学が堪能な河野太郎らしい配役になります。 この時は北朝鮮のミサイル問題が緊迫し、アメリカでは新しい大統領が誕生して間もなかったりと外交関係も雲行きが怪しかった時期です。 そんな中で約2年間外務大臣の仕事を全うし、2019年中ごろからスタートした第4次安倍政権では防衛大臣を任されています。

河野太郎の政治思想、政策、公約

(画像:Unsplash

河野太郎は入閣前から原発に対して否定的な態度を取っていました。しかし、皮肉にも原発を再稼働させる安倍政権の中で重要な役割を担っていくのです。 中国や韓国に低姿勢だった父の河野洋平とは異なり、外務大臣時代には強い批判の言葉を浴びせました。歴史問題が友好の障害になっているのですが、それに臆すことなく対等な立場で物事を発現する姿勢が高く評価されています。 また、すでに成り立たなくなっている国民年金の廃止も主張しています。