放射性廃棄物のカラチャイ湖への廃棄

「カラチャイ湖」には放射線廃棄物が投棄されてきた歴史があります。第二次世界大戦後、アメリカとソビエトの対立は決定的になりました。両国は競って核兵器を開発しますが、同時に原子力発電の出発点といえるでしょう。 もちろん兵器であってもエネルギーであっても原子力を扱えば廃棄物が発生します。そこには多くのリスクが含まれていましたが、ソビエトはあろうことかカラチャイ湖に投棄していたのです。 しかしこの行為を一方的に攻めることはできません。当時唯一の被爆国であった日本は発言する力を失っており、原子力の怖さを伝える術がどこにもありませんでした。

キシュテム事故から始まるウラル核惨事

事態が一変するのはキシュテム事故を発端とするウラル核惨事が引き起こされてからになります。カラチャイ湖付近にあるマヤーク核技術施設が稼働を始めたのは1948年です。 単に廃棄物を垂れ流している状況でしたが、やがて近隣住民の健康被害が深刻となります。そこでタンクに貯蔵する方法に変更しますが、施設の故障が爆発事故を誘引しました。 後にキシュテム事故(1957年)と名付けられるレベル6の原子力事故は30万人弱の人々を恐怖に陥れます。放射線物質は広範囲に拡散され、大きな健康被害を産むことになりました。なお爆発事故が引き起こした数々の不具合を総称して「ウラル核惨事」と呼んでいます。