三菱リコール隠し事件の全貌を解説!リコール発覚は内部告発によるもの?

経済

2019年5月25日

今回ビジキャリでは「三菱リコール隠し事件を取り上げます。死亡者も出た悲惨な事故ですが、改めて企業体質が問題にされ小説のモチーフにもなった事件でもありました。少し長文の記事になりますが、事件の経緯やリコール隠しが行われた背景にも迫りますので参考にしてください。

三菱リコール隠し事件の概要

ここ数年自動車のリコールが世間を賑わしていますが、過去にはリコール隠しという不祥事も起こっています。中でも悪質とされたのが、「三菱リコール隠し事件」です。その規模の大きさと二度にわたってくり返されたことが非難され、三菱が深刻な経営不振に追い込まれたほどです。 今回は「三菱リコール隠し事件」について内容や背景、事件発覚後の影響まで解説します。

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2000年のリコール隠し

三菱のリコール隠しが最初に発覚したのは、2000年のことです。当時自動車メーカーの国内シェアが4位だった三菱自動車工業が、1977年から約23年にわたって運輸省(現・国土交通省)にリコールにつながる重要不具合情報を報告しなかったことが明るみに出ました。 この重要不具合情報は10車種以上の乗用自動車6件で約46万台、大型・中型トラックで3件約5万5000台にのぼる規模でした。さらに発覚した理由が、匿名の内部告発にあったため注目を集めたのです。

2004年のリコール隠し

三菱自動車工業は2003年、トラックとバスを扱う部門を三菱ふそうトラック・バスとして分社化します。しかしその翌年の2004年、2000年に起こった不祥事より多い約74万台のリコール隠しが発覚しました。 このリコール隠しが発覚したきっかけは2002年に重機を運んでいたトレーラーのタイヤが外れ、転がったタイヤがぶつかった主婦が亡くなった事故です。当時の三菱自動車工業はトレーラーの整備不良が原因と発表していましたが、分社化した三菱ふそうトラック・バスが2004年に製造者責任を認めリコールを国土交通省に届け出ました。

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三菱自動車工業

当時は国内シェア4位を誇っていた三菱自動車工業には、長い歴史があります。しかし「三菱リコール隠し事件」では、三菱自動車工業の企業体質が問われ社会問題となります。そのきっかけも匿名の内部告発とセンセーショナルなものでした。 ここでは、三菱自動車工業の概要と持っていた部門について説明します。内部告発が行われた背景にある、企業体質についても知っておいてください。

三菱自動車工業の概要

1917年に三菱合資会社から独立した三菱造船は三菱A型自動車を製作しますが、1948年以降は日産やトヨタの乗用車におけるボディ請負生産を始めノウハウを吸収します。 1950年に過度経済力集中排除法が施行され、三菱造船が東日本重工業・中日本重工業・西日本重工業の3社に分割されます。その後東日本重工業がカイザー=フレーザーと技術提携を行い、日本におけるヘンリーJのCKD生産とアジアでの販売権を得ます。翌1951年よりヘンリーJの販売を開始し、1953年にはジープのCKD生産を始めやがて国産化します。 1953年の平和条約締結後、東日本重工業は三菱日本重工に名称を変更。1959年に軽3輪トラック「レオ」を、1962年には自社で開発した初めての自動車である「三菱500」を発売します。 そして1964年に分割された3社が再合併し三菱重工業となり、1970年にクライスラーと合弁事業の契約を結んだことを機に三菱自動車工業として独立しました。

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