1分でわかる瀬戸内シージャック事件
瀬戸内シージャック事件とは
- 1970年に瀬戸内海で起きた旅客船乗っ取り事件
- 日本では珍しい犯人射殺による事件解決
- 発砲の是非について多くの議論
瀬戸内シージャック事件の概要
瀬戸内シージャック事件は1970年に瀬戸内海で起きた旅客船の乗っ取り事件です。シージャックは航空機の乗っ取りがハイジャックと呼ばれているのを旅客船に当てはめて表現した和製英語です。事件はどのように始まってどのように推移していったのでしょうか。
1970年に瀬戸内海で起きた旅客船乗っ取り事件
事件は広島県宇品港に停泊していた愛媛県今治行きの旅客船プリンス号で起きました。銃を所持した犯人・川藤展久(かわふじのぶひさ)は乗員・乗客を人質にとりプリンス号を乗っ取りました。 どこか大きな町へという犯人の指示でプリンス号は愛媛県松山市の松山観光港に着岸し、そこで乗客と乗員の一部の解放と引き換えに船に給油を行い、愛媛県今治市沖の来島海峡を経て再び宇品港に戻ってきました。
警察官が犯人を射殺し、事件は終息
宇品港で犯人は仲間の少年達の解放を要求し、ライフル銃の発砲を繰り返していました。犯人の父親が投降を説得しましたが、犯人は応じず父親にも発砲していました。 宇品港では厳重な警備体制が敷かれており、大阪府警からは狙撃部隊も投入されていました。広島県警はこれ以上の被害を防ぐため狙撃による犯人確保もやむなしと決意し、狙撃を許可しました。これ受け大阪府警の狙撃手は犯人を狙撃し、確保された犯人は病院で緊急手術を受けましたが死亡しました。