下院議員選挙、上院議員選挙に当選

ヴァンダービルト大学のロースクール退学後(1976年)、すぐさまアル・ゴア氏はテネシー州から下院議員選挙に出馬し当選を果たします。 テネシー州はアル・ゴア氏が幼少期を過ごした地元であり、彼の父親はこの地で長く民主党上院議員を務めていました。そのため、地元住民からの支援もあり地盤としても申し分なかったのでしょう。 アル・ゴア氏はテネシーで三期下院議員を務めた後、1984年には上院議員選挙に立候補し当選を果たし中央政界へと進出していきます。

ビルクリントンの副大統領に就任、再選

上院議員となったアル・ゴア氏は、1988年の大統領選に立候補するも予備選で敗北したため、1992年の大統領選に再度出馬する決意を固めます。 ところが、息子のアル・ゴア三世氏が交通事故に遭い大けがをしました。大統領選を諦め息子の回復を見守ることにしますが、ビル・クリントン氏が1992年の大統領選に向けアル・ゴア氏を副大統領候補に指名するのです。 ビル・クリントン氏は見事大統領選を制し、アル・ゴア氏も正式に副大統領として迎えられ、彼とともに二期8年間にわたって副大統領の任務を遂行します。

アル・ゴアは2000年に大統領選に出馬し落選

クリントン政権が終焉を迎えた2000年にアル・ゴア氏は満を持してアメリカ大統領選に出馬しますが、ジョージ・ウォーカー・ブッシュに惜敗します。 副大統領としての実績十分で大統領選に挑んだアル・ゴア氏は一般投票では勝利したものの、選挙人投票で敗れます。選挙結果については法廷闘争にもつれ込むなど後味の悪いものでした。 アル・ゴア氏の敗北には様々な要因がありますが、クリントン前大統領のスキャンダルや自身のインターネット発展に対する不遜な発言がブッシュ陣営に有利に働いたとされています。

アル・ゴア主演の映画「不都合な真実」

(画像:Unsplash

アメリカ副大統領退任後のアル・ゴア氏の実績で特筆されるのが、ドキュメンタリー映画「不都合な真実」(2006年)への出演です。 アル・ゴア氏は副大統領在任時から世界の環境問題の解決に向けて、積極的に取り組んできましたが「不都合な真実」は、まさにその集大成ともいえる内容でした。 「不都合な真実」には一部表現が誇大との指摘も受けましたが、北米では約241万ドルの累積興行収入をあげる大ヒット作となるのです。