鶴見事件のその後

(画像:Unsplash

「鶴見事故」並びに「三河島事故」の要因は競合脱線とされていました。しかし主な要因がわからないため原因不明といっても過言ではない状況だったのです。 そのため「鶴見事故」を風化させてはならないと、その後に色々な動きがありました。ここでは「鶴見事故」のその後について、詳述します。

事件現場近くに遺族によって慰霊碑が建てられた

「鶴見事故」の現場からほど近い岸谷1丁目に「国鉄鶴見事故遭難者供養之塔」という慰霊碑が建立されました。これは事件を風化させてはならないという被害者の遺族が建てたものです。 現在でも事故が起こった11月9日には慰霊碑がある總持寺において、JRと一部の遺族によって慰霊祭が営まれています。また年に4回はJR職員が慰霊碑の清掃を行っているそうです。

脱線防止の対策

「鶴見事故」に関する調査は1972年2月まで続きました。その調査報告を受けて脱線防止の対策をとることになります。 具体的な内容としては護輪軌条やレール塗油器の設置や2軸貨車のリンクと車輪踏面形状の改良などがあげられます。 こうした対策は1975年に終了し、その後はほとんど競合脱線は起こっていません。

まとめ

(画像:Unsplash

貨物列車の脱線時に上下線ともに旅客列車が進入したことで被害が拡大した「鶴見事故」について解説しました。 前年の「三河島事故」から2年連続での脱線衝突事故であったため、国鉄内での調査や防止対策に時間を要しています。 しかし平成になっても「福知山線脱線事故」が起こりました。過去の事故を教訓に再び悲劇がくり返されないことを願うばかりです。