1分でわかる横浜事件
戦時下最大の言論弾圧が覆す司法の根底とは
- 乱用された国家権力が罪なき60名を逮捕
- 関係者・遺族と裁判所との長い闘い
- 実質無罪・冤罪を勝ち取るも後味の悪い最後
横浜事件の概要
(画像:Unsplash)
横浜事件は戦中から戦後にかけて、国家権力を乱用した一大事件です。戦時下最大の言論弾圧事件ともいわれる横浜事件は、誰によって引き起こされたのでしょうか。 きっかけはある評論家が執筆した1本の論文でした。なぜ約60名もの検挙者を出すまでの事態となってしまったのか、事件の真相に迫ります。
1942年から1945年にかけて起きた言論弾圧事件
横浜事件は1942年9月から1945年8月の間、約3年間にわたって起きた言論弾圧事件です。弾圧を加えたのは神奈川県特別高等警察(通称:特高)で、改造、中央公論、日本評論、岩波書店などの出版関係者が相次いで被害を受けました。 特高は「共産党再建」を企てているという理由で弾圧しましたが、実際に被害にあった関係者に思想の一致は見られませんでした。敗戦を迎えてからしばらく経ち、横浜の裁判所では治安維持法に関する書類が焼かれました。 米軍に特高の蛮行を知られる前に、証拠を隠蔽しようと上部が命令したためです。
雑誌に掲載された論文をきっかけに約60人が逮捕
評論家の細川嘉六氏によって書かれた「世界史の動向と日本」という論文が「改造」誌に載ったことが事の発端でした。細川氏が論文をとおして共産主義の宣伝活動をしたと陸軍報道部にやり玉にあげられ、時を同じくして経済学者の川田寿氏も逮捕されることになります。 ここから芋づる式に出版関係者が検挙され、ついには約60人が逮捕されるまでにいたりました。表向きは危険な思想を持った人間の弾圧ですが、実際には警察側の一方的な暴挙でした。特高は検事とも連携をとり、自分たちに都合のいいように判決を進めていったのです。