事件のきっかけは看守の不正

拘置所に収容された暴力団員は常に看守を篭絡させることを考えています。そこでよく使われるのが正規の手続きを踏まずに、手紙の投函を頼むという手口です。 看守と暴力団員であっても、同じ地域で生活していれば顔見知りになっても不思議ではありません。善意のつもりでやった看守の行為が、のちに大きな事件へとつながっていきます。

囚人らは看守を買収

看守に正規の手続きを踏まずに手紙を投函させることを、暴力団の隠語で「鳩を飛ばす」といいます。それだけ暴力団員がよく使う手口なのです。 看守は礼金を受け取りますが、1度でもこれをしてしまうと暴力団員は不正を上司にバラすなどといって看守を脅すようになります。 これで看守の篭絡に成功した暴力団員は刑務所内の職員は簡単にいうことを聞く連中と判断します。それからは看守に対する脅迫、暴行を次々に行うようになっていくのです。

飲酒、喫煙、賭博に強姦までやり放題だった

刑務官に脅迫、暴行をはじめた暴力団員は所内のカギを使って拘置所内を自由にうろつくようになります。看守が手出しできないことをいいことに飲酒、喫煙、花札ばくち、領置金の脅し取りなどをはじめ、更には女性囚人への強姦を行うようになります。 看守も暴力団員の仲介で女性囚人と性的関係を持つようになり、もはや刑務所内は無法地帯になってしまいました。 強姦された女性囚人の中には1982年の「松山ホステス殺害事件」を起こした福田和子も含まれていたのです。

松山刑務所事件事件のその後

やがて事件は明るみになりますが解決することはありませんでした。不祥事が発覚したのちの1966年6月と7月に副看守2名が自殺し、強姦を付けた被害者からの告訴もなかったからです。 しかし、のちに福田和子の著書によって、法務省が強姦被害者の告訴取り下げを強要していたことが分かりました。事件は国家権力によって闇に葬られていたのです。