毛沢東の後継者だった林彪の搭乗機が墜落

1971年9月当時中国のナンバー2の林彪とその妻・息子らを乗せソ連に向かっていた航空機がモンゴルの草原に墜落し、林彪も含めて搭乗者は死亡が確認されました。 その当時中国は文化大革命のまっただ中にあり、中国内外への情報発信は極めて限定的でした。謎が多い林彪事件が中国・新華社から報じられたのは事件から10ヶ月後の1972年7月でした。

毛沢東を暗殺する計画が失敗し亡命を計画か

林彪らがソ連に亡命を企てたのは毛沢東暗殺とそれに伴うクーデターが失敗したためとされています。中国のナンバー2・中国共産党副主席までのぼり詰めた林彪でしたが、毛沢東からその野心を疑われるようになり、やがて毛沢東の林彪グループへの粛正が始まりました。 この動きに対抗するため林彪の息子である林立果が中心となって毛沢東暗殺とクーデターが立案され実行に移されようとしましたが、計画は事前に察知され頓挫したため林彪グループはやむなくソ連への亡命の道を選びました。