様々な憶測を呼ぶ姉妹船のオリンピック号

(画像:Unsplash

旅客機登場のおよそ30年前となる1900年代初頭大西洋航路はかなり活況でした。 イギリスの大手海運会社であるホワイトスターライン社は他社に先駆けて客船建造の計画を進めており、ドイツやアメリカ、同じイギリスのキュナードライン社とし烈な競争を繰り広げていきます。 そこで速力ではなく豪華さで勝る定期船を作ろうとオリンピック号、タイタニック号、ブリタニック号の姉妹船の建造が計画されました。タイタニック号より1年先駆けて就航したオリンピック号が後に様々な憶測を呼ぶこととなります。

沈没したのはオリンピック号?

沈没したのはタイタニック号ではなく、実は姉妹船であるオリンピック号だったのではないかという疑惑があります。その説を提唱したイギリスのドキュメンタリーも放送され大きな反響を呼びました。

タイタニック号とのすり替え疑惑

このオリンピック号とタイタニック号は外観や内装など見た目も大きさもうり二つでした。しかし船首の窓の数と船内のプロムナードの有無からすり替え疑惑が浮上します。 造船中に撮影したタイタニック号の写真では船首の窓の数は14でしたが、処女航海時の写真では16の窓がありオリンピック号の窓の数と同じでした。 また図面によるとタイタニック号は客室と外壁の間がないにも関わらず、沈んだ船の映像にはそこにプロムナードと呼ばれる廊下が映っており、まるでオリンピック号の内部のようだったからです。

何度か事故を起こしていたオリンピック号

タイタニック号を造船している間、先に運行していたオリンピック号は2度の事故を起こしました。 1度目は1911年9月にイギリス海軍の軍艦ホークと接触し船尾が大破しました。この事故はイギリス海軍の査問会においてオリンピック号のミスとされ、多額の負債を抱えることとなります。 2度目は1912年2月の大西洋を航海中に海中の障害物に乗り上げてしまい長期修理を余儀なくされます。この2度の事故によりオリンピック号の耐久性能が下がった上に、少額の保険しかかけられなくなりました。