三里塚闘争とは成田空港の開港で起きた政府と民間人の闘争!時代背景も含め解説します!

経済

2019年9月22日

日本の航空輸送に大きな役割を果たしてる成田国際空港ですが、この成田空港開港にあたっては「三里塚闘争」という反対派との長い闘争の歴史があります。今回ビジキャリではこの「三里塚闘争」をとりあげます。闘争の背景や経緯を詳しく解説しますので、参考にしてください。

1分でわかる三里塚闘争

「三里塚闘争」とは1960年代中盤に勃発した、成田国際空港建設に反対する地域住民を中心とした反対運動です。 1977年に開港した成田空港は世界115都市及び国内22都市を結ぶ、まさに日本を代表する国際拠点空港であり年間4千万人の人々が利用しています。 しかしその開港にあたっては地元住民と政府当局の激しい対立の歴史があり、多くの犠牲者を出したばかりかその後の公共政策にも大きな影響を与えたのです。

三里塚闘争

  • 成田国際空港建設に反対する地域住民を中心とした反対運動
  • 航空輸送の需要拡大が背景
  • 公共事業の進め方に大きな影響を与えた

三里塚闘争の起きた三里塚は牧場や農地であった

「三里塚闘争」の舞台となった千葉県成田市三里塚は牧場経営や農業で栄えた地域ですが、その歴史は第二次世界対戦直後の1946年に遡ります。 当時の日本では戦後開拓が進められており、その一環として三里塚も開拓が進められましたが入植者の多くは戦地からの引き揚げた者など他地域から入ってきた人々でした。 彼らは「新窮民(しんきゅうみん)」と呼ばれ、過酷な環境下での開墾作業を強いられ多くの脱落者を出しますがやがて生計を立てられるまでに成長・拡大しました。

農地の人々は貧しい生活を送っていた

新窮民と呼ばれる人々は裸一貫で三里塚に入植した人がほとんどでしたから生活基盤などなく、昼間は地元農家で小作の仕事を請け負い、ギリギリの状態で生計を立てていたのが実情です。 そのため開墾作業は夕方から夜間に限られる上、十分な道具も持っていなかったため困難を極めることになりました。 さらに電気や水道もない藁小屋での生活を余儀なくされており、まさに極貧状態の中で必死で自分たちの農地を切り開いたのです。

三里塚闘争の背景

「三里塚闘争」の背景には大型輸送機による航空輸送の需要が一気に高まり、現存する羽田空港だけでは対応しきれなかったことがあげられます。 高度経済成長期を経て日本は先進国の仲間入りを果たしましたが、航空輸送において遅れをとってしまうと国力の低下は避けられないことから、政府は早急に新空港予定地を探さなくてはならなかったのです。

航空の需要が急速に拡大していた

「三里塚闘争」が勃発する1960年代後半は航空機技術の大幅な発達により、ジャンボジェット機が続々と導入され航空機による大量輸送がトレンドとなりつつありました。 そのため高度経済成長期にあった日本においても航空需要が急速に拡大しており、1970年には最新鋭の大型ジャンボジェット機ボーイング747が導入されホノルル線が就航しました。 日本政府としても経済成長をさらに促進させて世界各国に対抗していくためには、この流れに乗り遅れるわけにはいいきませんでした。

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