自由党、そして自民党へ

1994年、小池氏は日本新党を含めた旧連立各党と連立した野党第一党となる新進会に参加します。1996年に行われた衆議院議員選挙では小選挙区比例表並立性が導入され兵庫6区から出馬します。 自民党の阪上善秀氏を破り、のちに新進党の党首となる小沢一郎氏の側近として同党を支える存在となります。そして、1997年の新進党解党後には小沢一郎氏の率いる自由党に参加します。 1999年、自民党と自由党の連立(自自連立)によって小渕第2次改造内閣の経済企画政務次官となります。その時の政党運営に尽力したことが評価を高めますが、一方で批判を浴びることも多かったようです。

環境大臣などを務めた

小池氏が第3次小泉改造内閣で務めた環境大臣時代で最も国民の関心を呼んだのは「クールビズ」でした。小池氏は環境大臣として尽力しますが、党内でもこの政策に懐疑的な雰囲気があり「どこまで本気なのか分からなかった」と回想しています。 ノーネクタイの軽装と室内温度を28度に設定する二本立ての政策で当初は様々物議を醸しましたが、現在ではすっかり定着しています。 のちに当時の環境省の課長は「28度には何の科学的根拠はない」とメディアのインタビューに答えています。

自民党を離党後東京都知事選に出馬し当選

2016年7月14日に告示された東京都知事選挙では自民党が分裂選挙となる一方で、野党4党が統一候補を擁立したことから混戦が予想されていました。 しかし野党が小池氏の対抗馬として推していた鳥越俊太郎氏は告示直前での立候補ということもあり、準備不足から徐々に後退していきます。 小池氏は「2020年の東京オリンピック・パラリンピック」「待機児童解決」「介護・福祉の充実」など都政の喫緊の課題を訴えたことが功を奏し当選しました。

都民ファーストの会を結成

都民ファーストの会は2016年9月に小池氏が塾長を務める政治塾「希望塾」が前身の政治団体です。 都議選では定数127の議会で過半数を獲得することを目指していました。小池氏は「特別顧問」として参加し、代表には小池氏の特別秘書である野田数氏が就任しました。 同会は「大日本帝国憲法」の復活を求めるなど保守思想を前面に出したことで各方面で物議を醸しました。都民ファースト内では小池知事の代表就任を求める声が高まり、同年6月に代表に就任します。