食料提供や就職先の紹介を行うと言い山林に連れ込み犯行に及んでいた

最初の犯行を除くと、小平義雄はほぼすべての被害者を同様の手口で犠牲にしています。 当時は食糧難だったことから、配給で足りない食べ物を求めて、闇市へ買い出しに行く者が絶えませんでした。小平義雄は駅周辺で買い出しの女性に目星をつけ、ターゲットにしていたようです。 小平義雄は「米を安く売る農家を知っている」と言ったり、仕事を斡旋するなどとそそのかして、女性を山中や雑木林に誘い出しました。暴力で女性を無抵抗にして強姦し、その後は証拠隠滅するために絞殺していました。

小平事件の犯人・小平義雄

小平義雄は明治時代の栃木県で生まれました。19歳の時に横須賀海兵隊に志願し、中国大陸などに出兵しました。この軍人時代に戦地で敵兵を殺傷したことや、民家を襲って略奪や強姦を繰り返した経験が、後の連続強姦事件に繋がったようです。 ここからは犯人・小平義雄の生い立ちや、事件までの経歴について紹介していきます。

生い立ち

小平義雄は栃木県出身です。1905年1月28日生まれのとされていますが、当時は数え年だったこともあって、その混乱からか資料によって1903年や1904年とバラつきがあります。 少年時代の小平義雄は素行が悪く、弱いものいじめや成績不振で注意されていたようです。また、言葉がつっかえて上手く話せない吃音症でもありました。 尋常小学校を卒業後、上京していくつか職に就くも長続きせず、19歳で横須賀海兵隊に入隊しました。そして戦地で婦女暴行を繰り返し、強姦殺人に目覚めていったのです。

妻の父親を殺害し懲役15年となるが恩赦で出所

海兵隊を退役した小平義雄は、1932年に当時の勤め先の紹介で結婚します。ところが約半年後、小平義雄が他に複数の女性と浮気して子どもまで産ませてたことが判明し、妻は実家に帰ってしまいました。 一向に戻らない妻に腹を立てた小平義雄は、鉄棒を持って妻の実家に乗り込み、家族6人を負傷させて義父を殺害しました。小平義雄はこの事件で懲役15年となりますが、恩赦によって刑が軽くなり、1940年に仮出所します。 その後、小平義雄は1944年に再婚しています。この再婚相手と子どもは小平事件の前は田舎へ疎開していたようです。