1分でわかるひめゆりの塔事件

ひめゆりの塔テロ事件と沖縄県民の多感さ

  • テロリストが当時の皇太子・皇后に火炎瓶を投げつける
  • 皇太子と皇太子妃は軽傷を負う
  • 犯人たちは新左翼集団

1975年7月17日、当時の皇太子殿下と皇太子妃が戦後初めて沖縄を訪れたました。沖縄には先の大戦の責任は天皇にあるとい「天皇の戦争責任」論を掲げるテロ組織も潜伏していました。 犯人の新左翼「沖縄解放同盟準備会」のメンバーが、当時の皇太子・皇后陛下両殿下がひめゆりの塔に献花いている時に、両陛下に対し火炎瓶を投げつけたのです。 幸い両陛下に大きなお怪我はなかったものの、皇室に対する沖縄県民の複雑な気持ちを表す事件となりました。

ひめゆりの塔事件が起きた時代背景

太平洋戦争も終盤を迎えた1945年3月17日、硫黄島に在った日本守備隊が壊滅すると、同年20日米軍の沖縄への進行が開始されました。 そのため日本軍と米軍との争いに巻き込まれ、多数の沖縄県民が犠牲となりました。その遺族の中には、「天皇の戦争責任」を追及する過激なグループもいました。 先の大戦の傷跡が残る沖縄で起きた、「天皇の戦争責任」を社会に問いかけた、ひめゆりの塔事件とは何だったのでしょうか。

沖縄県民を虐殺した日本軍に対する怒り

こうして混乱していく沖縄ですが、特に沖縄本島では米軍の兵士による強奪・強姦が横行します。そして、米軍はそれまで殆ど関心のなかった久米島を侵略するとして、966人の部隊を編成し送り込んだのでした。 米兵から「降伏勧告状」を渡された住民が「米軍のスパイ」として日本兵によって処刑されてしまいます。その後に米軍のスパイと疑われた者が次々と殺害され、渡野喜屋事件、名護市照屋中英学校長殺害などで計1000人が虐殺されました。 日本兵のこうした常軌を逸脱した行いが、次第に沖縄県民の怒りを日本へ向けさせていくことになるのです。

戦時中の沖縄の植民地支配に対する怒り

こうした日本軍に対する反感が強まるうちに、戦中の沖縄植民地支配による沖縄県民への不当な扱いについても不満の声を上げる者が現れます。 実際に沖縄県が植民地として扱われていたという事実は別にしても、歴史的に「沖縄県は沖縄人のものである」という主張は残り、沖縄県民の「進化」と「同化」は民族の「蘇生」であるとする思想が強まっていきます。 特に「沖縄解放同盟準備会」という過激指導家たちによってこの思想は強調され、沖縄県民を巻き込んだ「天皇の戦争責任」を追及するという方向へ流れていくことになります。