例文②諦観の念

「諦観の念」はビジネスシーンで、使われることも多い言い回しです。 ・クライアントへのライバル会社の攻勢を考えると厳しい状況ですが、諦観の念を持つことによって一喜一憂することはなくなります。 ・震災によって荒廃した故郷を目の当たりにして、諦観の念が沸き起こりました。 「諦観の念」は「諦観の境地」と同様な使われ方をします。つまり「全体を通して、ことの本質を見きわめる」という意味で使われることも共通しています。なかでも、「よくないことあるいは悪い状況も含める」ことを指すのが、「諦観の念」といえます。

諦観の意味②「悟りあきらめること」

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「諦観の境地」の説明にもあったように、「諦観」には「悟りあきらめるあるいは超然とする」という意味もあります。そうした意味で使われる「諦観」は、「物事の本質を見極めたうえ俗世の欲望を手放し超然とした態度で臨む」ことを指します。 つまり抱えている悩みや迷いの本質を見極めようとする過程で自分が執着している俗世の欲望を絶ち、それをあきらめるという前向きな意味で使われるということです。それは「断念する」ことではなく、「悟り納得して手放す」というニュアンスが含まれます。

例文①諦観する

「諦観する」は、人に対してよく使われる言い回しでもあります。 ・プロジェクトが失敗した責任をリーダーは私に押し付けるだろうと、私は諦観していました。 ・加齢とともに体力の衰えを諦観する彼は、引退のタイミングを図っていました。 「諦観する」は「物事の本質を見極めたことで、あきらめるに至る」という意味で使われます。その場合「断念する」といったネガティブなニュアンスではなく、「自分がおかれた状況や事態を理解し執着せずにそれをあきらめる」というポジティブさを含みます。「もはやこれまでと思う」と言い換えることもできます。

例文②諦観的

そして「諦観的」は、「悟りあきらめるという姿勢を持って物事と向き合う」ことを意味します。 ・長き闘病生活を送っている彼女の諦観的な振る舞いを見ると、その年齢を忘れてしまいます。 ・社員を守るために諦観的に会社の吸収合併を受け入れようとしている社長に、私はついていこうと思っています。 「諦観的」は、「それがどんなに辛いことであっても物事の本質を見極め悟りの境地に至る」という心情を表しているといえます。この場合は「終わりを覚悟する」という類語に置き換えられます。