上尾事件をわかりやすくまとめました。事件の起きた時代背景や事件の概要まで詳しく解説!

経済

2019年10月9日

異常な通勤ラッシュが当たり前だった我が国の高度経済成長期に「上尾事件」は起こりました。今振り返れば起こるべくして起こったともいえます。今回ビズキャリオンラインではこの「上尾事件」をとりあげます。事件が起こった時代背景や事件の経緯を詳しく解説します。

1分でわかる上尾事件

「上尾事件」は1973年3月13日、国鉄高崎線上尾駅にて起こった、乗客による暴動事件です。その主な原因は国鉄職員による順法闘争で、乗客の国鉄へのフラストレーションから大きな暴動事件へと発展しました。 さらにこの「上尾事件」を契機に、首都圏国鉄暴動へとつながるのです。

上尾事件の要点

  • 国鉄高崎線上尾駅にて、乗客により起きた暴動事件
  • 主な原因は国鉄職員による「順法闘争」
  • 首都圏国鉄暴動の契機になった

上尾事件の起きた時代背景

「上尾事件」が起きた1973年の日本は高度経済成長の真っ只中で、首都圏では人口が一気に増加し、首都圏沿線を利用する乗客も増え続けていました。 しかしながら国鉄は当時赤字経営だったためか、新車両導入やピーク時の列車の本数を増やすなど、増加する乗客への対応は一切できずにいました。

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国鉄職員は労働組合によりストライキが禁じられていた

当時の国鉄では、賃金の引き上げや労働環境の改善のために労働闘争が行われていました。 しかし、公共企業の職員である国鉄社員は公労法第17条によってストライキ行為を禁じられていたのです。 また当時の国鉄は赤字経営だったため、新車両の導入や増便、増員などといった施策に対して消極的でした。国営である国鉄は急速に発展していく日本社会についていけていなかったのです。

国鉄職員は順法闘争で対抗

ストライキを禁じられていた国鉄職員は「順法闘争」という形で自分たちの権利を勝ち取ろうとします。 「順法闘争」というのは、安全運転という名目で運行速度を落としたり、一旦停止をしたり、過剰に安全規範を遵守し、計画的にダイヤを遅らせるというものです。 ストライキという形ではないにしても、実質的にはストライキに近い形で労働闘争をしていたといえます。

高崎線は周囲の住民のライフラインだった

当時の高崎線は首都圏と日本海側を結ぶ重要な路線でした。また、高崎線沿線は東京のベットタウンとしても機能していたため、沿線居住者は増加の一途を辿っていました。 通勤・通学のラッシュ時間帯には定員の2~3倍の乗客が利用し、駅は常に人で溢れていました。 急増する乗客への対応が迫られていたにも関わらず、順法闘争の影響で、通常であれば上尾〜上野間は37分で到着するところ、3時間の時間をかけて到着することもあったのです。

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