2010年に時効を迎えた

警察組織の威信をかけた必死の捜査もむなしく、2010年3月30日に殺人未遂にかかる公訴時効を迎えました。 公訴時効を目前にした記者会見において、青木五郎警視庁公安部長(当時)はあらためてオウム真理教による関与について言及するとともに捜査結果概要を公表します。 被害者である國松孝次元警察庁長官は、捜査員の必死の捜査に対して感謝とねぎらいの意を表しました。しかし、一方では「不合格の捜査」「被害者としては絶対に忘れらない」とやりきれない胸の内を明かしています。

捜査線上に上がった人物

(画像:Unsplash

事件発生当初から、捜査当局ではオウム真理教の犯行だとする説が主流を占め、数名の教団信者が捜査線上に浮かび上がりました。 しかし、警視庁刑事部と公安部の主導権争いなどもあり、証拠を固めることができず起訴するには至りませんでした。 さらに、別の強盗殺人未遂事件で逮捕されていた人物が犯行を告白するなど、様々な人物が捜査線上に浮上し捜査は混迷を極めていきます。

警視庁巡査長

警視庁巡査長はオウム真理教の信者で目撃情報もあったことから初期段階から捜査線上に浮かび上がっていた人物であり、情報漏洩を理由に1996年に警察を懲戒免職されています。 紆余曲折を経て、2009年に殺人未遂容疑で逮捕されますが、供述が二転三転し起訴には至りませんでした。

教団建設省幹部

教団建設省幹部であった砂押光朗は、狙撃事件直後にテレビ局に脅迫電話をかけた容疑で1995年に逮捕されていますが、証拠不十分で不起訴となっていた人物です。 後述する岐部哲也らと共謀して実行犯の逃走を手助けしたとして、前述の元警視庁巡査長とともに2009年に殺人未遂容疑で逮捕されますが不起訴となっています。