江川卓は二度の指名拒否

江川卓氏は高校時代と大学時代の2度にわたって、ドラフト1位で指名されていますがいずれも入団を拒否しています。 高校時代は阪急ブレーブスに指名されましたが、大学進学を理由に入団を拒否して法政大学に入学しました。 大学時代はクラウン(現西部ライオンズ)に指名されますが、「福岡は遠い」といった理由から入団を拒否して作新学園の職員となっています。そのため、江川卓氏の3度目のドラフトはプロ野球ファンにとって大きな関心事となっていました。

ドラフトでは阪神に指名

鈴木龍二セ・リーグ会長は読売巨人軍の行為はドラフト会議の意義を根底から覆しかねないとして、江川卓氏の選手登録申請を却下します。 しかし、野球規約に抵触していないことを主張する読売巨人軍はこの処置を不服として、翌日のドラフト会議をボイコットしてしまいました。 一方、江川卓氏はドラフト対象選手となり4球団が指名しますが、抽選の結果、阪神タイガースが交渉権を獲得することとなり江川卓氏の決断に注目が集まりました。

その後阪神とのトレードにより江川卓の巨人入り

ドラフト会議に納得できない読売巨人軍は、翌23日に江川卓氏の地位保全の仮処分申請を東京地裁に申請します。さらに、正力亨オーナーはセ・リーグを脱退して新リーグを作ることを示唆するなど事態は混迷を極めました。 これに対して日本野球機構は、江川卓氏を一旦阪神タイガースに入団させた上で読売巨人軍にトレードすることを望むといった異例の発表を行うのです。 そして、1979年1月31日に読売巨人軍の小林繁投手とのトレードが成立し江川卓氏の巨人入団が決まります。

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空白の一日

(画像:Unsplash

江川卓氏の読売巨人軍入団についてはさまざまな論議がなされましたが、野球規約上に問題があったわけではなく「野球協約の精神に反する」といった理由だけで契約が認めらませんでした。 そこで、読売巨人軍が契約の正当性を主張する際に用いた「空白の一日」とは、どういった経緯で生まれたものだったのかを説明します。