西部邁の自殺と死因

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2018年1月21日早朝に、帰宅しない父を探して行った息子が多摩川の川面に浮いている西部氏を発見しました。西部氏は同日の深夜に多摩川で入水自殺し、その生涯を自ら閉じたのです。享年78歳でした。 西部氏は入水の前に毒薬らしき薬を飲んでいましたが、司法解剖により「死因は溺死である」と断定されました。

自殺に至る経緯

西部氏はかねてから「死について考える性癖がある」と、周囲に話していました。死後に報道された近著には次のように綴っています。 「述者は、結論を先にいうと病院を選びたくない、と強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたりいじり回されたくないからだ」 このほかに死についてのエッセイを綴った書物を多く残しています。ただ、自殺幇助をさせた者のその後の人生への配慮を欠くという、西部氏らしくない死に方だったこともあり現在も自殺の動機はハッキリとしていません。

窪田哲学と青山忠司に自殺幇助

西部氏が自身の自殺幇助を頼んだのは「窪田哲学」「青山忠司」の2人でした。窪田哲学はTOKYO MXのプロディーサーで、西部氏は窪田哲学を特にかわいがっていて酒席に呼び出すことも多かったといいます。 青山忠司は会社に勤めながら西部氏の私塾「表現者」の塾頭を務めていました。青山忠司は西部氏の死生観に共感していましたし、西部氏も自分の思想を共有できる存在と認めていました。 西部氏の死生観を知る2人にとって、自殺幇助は自然な行為であり「知行合一」を実践したものでした。

西部邁は遺書を残し多摩川で自殺

西部氏が自殺した多摩川の岸には娘、青山忠司、窪田哲学などの知人宛ての遺書が残されていました。 また、警察にも迷惑をかけて申し訳ないという趣旨の書簡を送っています。文中には自殺幇助をした2人に対して、寛大な配慮をお願いしたい旨も書かれていました。 西部氏の身体にはロープが装着され木に結ばれていたこと、また手が不自由であったこともあり早くから1人で自殺を行うのは無理だろうと推測されていました。のちに青山忠司、窪田哲学の2名が自殺幇助の疑いで逮捕されます。