評論家、教授として活躍

西部氏は米国と英国の大学に在籍し、そこで保守思想のきっかけを掴んだといわれています。帰国した「西部氏」は大衆社会批判を軸とした保守論客として活動し1986年に東京大学教養学部教授となります。 しかしその後に起きた大学の教員人事を巡る騒動に巻き込まれます。「東大駒場騒動」又は当事者の名から「中沢事件」といわれる騒動です。 この騒動で、「西部氏」は東京大学の方針には従えないとして大学を辞職します。

多数の書籍を執筆

西部氏は1975年に処女作の「ソシエ・エコノミスト」を出版します。その後は英国での体験記である「蜃気楼の中へ」を執筆します。 また自身の経験した左翼活動を振り返った著書「六十年安保ーセンチメンタル・ジャーニー」を出版します。「蜃気楼の中へ」からも伺えるように、自身の人生をじっと見めるスタイルで執筆活動を続けました。 このほかに単著では「大衆民主主を疑え」など、共著では小林よしのりとの「本日の雑談」、又ミルトン・フリードマンの翻訳本など保守思想の書物を多く残しています。

西部邁ゼミナールなどのテレビ出演も多数

西部氏は2008年10月からTOKYO MXで放送された「続・陳平の言いたい放だい」の司会を務めることになります。2009年1月から番組名が「 西部邁ゼミナール∼戦後タブーをけっとばせ∼」に改題されます。 当時を知る人は「今ごろ西部先生でいいのか?」という声もあったそうですが、ゲストとの政治経済、時事問題などの討論が評判となりました。 このほかにテレビ朝日の「朝まで生テレビ」にゲスト出演するなど、メディアによる露出も精力的に行いました。

西部邁の思想

(画像:Unsplash

西部氏は東京大学在学中はブント(共産主義者同盟)の中心人物として活動していました。左翼活動を終えるきっかけとなったのは、連合赤軍が起こした所謂「山岳ベース事件」でした。 東京大学を卒業後は同大学の助教授として奉職し、保守論客としても活躍します。革命のための政治的暴力を批判した思想家「アルベール・カミュ」の意見にも賛成しています。 しかし西部氏の思想の原点はイタリア・ファシスタであり、生涯その思想を捨てることはできなかったともいわれています。