イラク日本人青年殺害事件と被害者の香田証生について徹底解説。政府の方針など様々な側面から考察。

経済

2019年10月28日

イラク日本人青年殺害事件は、テロ組織のアル・カイーダが日本人・幸田証生と引き換えに自衛隊の撤退を要求した事件です。しかし、日本政府はテロに屈しない方針をとっていたために、テロ組織の要求に応えることはありませんでした。この事件の一連の流れと、同様にテロ組織に拘束された人たちについても紹介します。

1分でわかるイラク日本人青年殺害事件

イラク日本人青年殺害事件

  • 2004年10月に香田証生氏がイラクのテロ組織に拘束される
  • テロ組織が日本政府に対し48時間以内に自衛隊を撤退するよう要求
  • 同年11月2日に香田氏を殺害する様子が動画で配信される

2004年10月に発生した「イラク日本人青年殺害事件」とは、イラクのテロ組織に日本人男性が殺害されたというものです。この事件により、日本では「自己責任論」が議論されました。 今回は現在でも被害者に批判の目を向ける人がいる「イラク日本人青年殺害事件」について解説します。

イラク日本人青年殺害事件の起きた時代背景

「イラク日本人青年殺害事件」を語るうえで、当時のイラク国内の治安の悪さを避けて通ることはできません。2003年にイラク戦争は終結したものの、それで国内が安定したわけではなかったからです。そうしたイラクに入国したことで、被害者は命を落としました。 ここでは2004年当時のイラク国内情勢について、詳述します。

イラクの治安は最悪だった

2003年3月20日、アメリカ・イギリス・オーストラリア・ポーランドなどの有志連合がイラクに軍事介入する「イラク戦争」が起こりました。当時のフセイン政権が大量破壊兵器を保持し、武装解除を遅らせていたことが理由です。 2003年5月1日にはイラク戦争の終結宣言が行われましたがフセイン政権の残存勢力やイスラーム過激派のテロは続き、2004年当時のイラク国内は治安が悪い状況が続いていました。

アル・カイーダによるテロが多発

2003年3月のイラク戦争以後は、正式名称を「イラクの聖戦アル・カイーダ」という組織によるテロが多発していました。アル・カイーダとはアブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーが創設した、サラフィー・ジハード主義の組織を指します。 スンニ派の信徒によって構成されており、外国出身者が多く過激な闘争を行うことで知られていました。そしてアル・カイーダの闘争路線はイラク国内の他の武装勢力との対立の火種にもなっており、様々な目的でテロを行っていたのです。

イラクの支援をした日本もアル・カイーダの標的となっていた

日本では2003年12月よりイラクの国家再建を支援することを目的に、自衛隊を派遣して人道復興と安全確保の支援活動を始めていました。 それにより日本もアル・カイーダの標的となり、様々な事件が起こっています。2003年11月29日に外交官だった奥克彦駐英参事官と井ノ上正盛駐イラク三等書記官が射殺されたことを皮切りに、2004年4月7日にはイラク日本人人質事件が発生したのです。 誘拐された3名は後に開放されましたが、日本人はアル・カイーダの標的であり続けました。

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