1分でわかるチャタレイ夫人の恋人事件
チャタレイ夫人の恋人事件とは
- 伊藤整の「チャタレイ夫人の恋人」翻訳本
- 猥褻文書として刑法175条に問われた
- 公共の福祉が表現の自由を制限できるとした
チャタレイ夫人の恋人事件の概要
(画像:Unsplash)
1950年に出版された「チャタレイ夫人の恋人」はイギリスの階級制度に切り込んだ作品として評判になります。ところが著者である伊藤整は刑法に問われ警視庁に摘発されました。まずはこのチャタレイ夫人の恋人事件の概要を解説します。
小説の「チャタレイ夫人の恋人」の生々しい性的描写が問題になり発売禁止
小説「チャタレイ夫人の恋人」は伊藤整によって1935年に初めて出版され、1950年には無修正版が出版されました。 物語はイギリスの上流階級にあるチャタレイ夫人が戦争によって性的不能となった夫から後継ぎを作るよう命を受けます。そして労働者階級の男性との恋に陥ちるストーリーです。 問題となったのは1950年に発表された無修正版であり、そこには赤裸々な性的描写が描かれています。これが卑猥であるか否かが大きな問題へと発展していきました。
チャタレー夫人の恋人は翻訳本だった
「チャタレイ夫人の恋人」は英国作家であるD.H.ロレンスが1928年に発表した小説です。つまり日本で罪に問われたのは翻訳本でした。 「LadyChatterley'sLover」と題されたこの作品は性的描写ばかりがクローズアップれていますが、実際は身分・階級問題こそが大きなテーマでした。 1928年といえば全世界に身分・階級制度が蔓延っており、とりわけイギリスでは貧富の差が広がっていました。「チャタレイ夫人」は作品のメインテーマとは関係のない卑猥文書として告訴される事態になります。