発売元が摘発された

こうした時代背景のせいで、単なる万引き事件からゲームの販売元や販売店が摘発される事態へと発展しました。 1991年11月25日、京都府警の少年課は「沙織 美少女達の館」の発売元である有限会社キララ(現在のエフアンドシー株式会社)および親会社ジャスト、万引き被害に遭った家電販売店などを摘発しました。 この摘発によって、当時のジャスト社長やキララの関係者が猥褻図画販売目的所持で逮捕されています。対象となったのは「沙織 美少女達の館」以外に、「ドラゴンシティX指定」など計4本のゲームです。

政府による規制強化

沙織事件や有害コミック騒動の影響は、社会や警察だけでなく、行政にも及んでいます。その一端が1991年、衆議院本会議ならびに参議院本会議で採択された法的規制の強化です。 こうした行政の動きによって、日本各地の自治体で青少年保護育成条例などが一斉に改正されました。 具体的には東京都議会で、有害図書類の規制に関する決議が行われ、実施されています。また当時の政府与党だった自民党内に、子供向けポルノコミック等対策議員懇話会が設置され、麻生太郎氏が会長に就任しています。

作品には審査が行われるように

1991年当時のアダルトゲーム業界には、統一された規制基準などは存在しませんでした。メーカー各社の自主性に任せだったのが実情です。 沙織事件の発生と法的規制が強まった結果、アダルトゲーム業界全体に自主規制の動きが出てきました。そんな中で生まれたのがコンピュータソフトウェア倫理機構と、日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(パソ協)です。 特にコンピュータソフトウェア倫理機構は、アダルトゲームの審査で15禁や18禁などのレイティング表示(年齢制限の可視化)に大きく貢献しました。