松橋事件の経緯と冤罪だった宮田浩喜さん

松橋事件は冤罪であることが証明されるまで、34年もの時間を要しました。その背景には、警察や検察の捜査方法と裁判所の審理が適正に行われていなかった事実があるようです。 ここでは松葉事件の発生から冤罪であることが証明されるまでの経緯について、詳しく解説します。

1985年に熊本県で男性の遺体が見つかった

1985年1月8日、被害者である59歳の男性は一人暮らしをしていた部屋で変わり果てた姿で発見されました。その男性の身体には頸部(けいぶ)を中心に15カ所もの刺し傷があり、失血死でした。 司法解剖が行われ、死後2~4日が経過していると報告されました。それを受けて、熊本県警は本格的な捜査を開始します。 そして同年1月5日、被害者と宮田浩喜さんが他2名の将棋仲間の前で口論していたことがわかります。同月6日以降に被害者を見かけた人がいなかったこともあり、熊本県警は宮田浩喜さんを容疑者として調べ始めました。

犯行を自白したため逮捕された

宮田浩喜さんへの事情聴取は、遺体が発見された1月8日の夜には始められました。宮田さんはその際、被害者と口論があったことは認めましたが、自分は殺していないと殺人を否定します。 その後も熊本県警は同月11日を除き、14日まで連日事情聴取を行います。さらに18日にはポリグラフ検査も実施したのです。 検査で陽性反応が出たことから熊本県警はより厳しく追求しました。そして20日に自宅で行われた取り調べにおいて宮田浩喜さんはついに犯行を自白してしまい、宮田浩喜さんは逮捕されました。

裁判で争ったものの懲役13年に

1985年2月14日に殺人罪で起訴された宮田浩喜さんは、初公判前最後の接見に訪れた国選弁護人に対し「否認して争いたい」と訴えています。しかし国選弁護人はそれを良しとせず、「そうしたいなら私選弁護人を依頼する方がよい」と宮田浩喜さんを突き放しました。 そのため国選弁護人の方針に従っていた宮田浩喜さんですが、第一審第5回公判で初めて全面否認に転じます。しかし1986年12月の第一審判決で懲役13年が言い渡され、控訴・上告共に棄却されたことから1990年に刑が確定しました。